寝床での鉄鐔愛玩日記(肥後以外の鐔編)
所蔵品の鑑賞のページ
 膨大の分量になったオタクの日記を(肥後鐔編)と(それ以外)に分けました。鉄鐔は楽しいです。
    
古甲冑師鐔 唐花透かし 2024/12/13
古刀匠鐔 二つ角紋透かし 2024/12/9
室町古鐔 車透かし 2024/8/1
金山 山道文透かし 2024/12/17
金山 松皮菱透かし 2024/7/4
尾張 桐・三蓋菱透かし 2024/5/12
尾張 輪に外四つ鐶透かし 2024/11/7
 勝軍草透かし  2024/10/5
古萩  枝菊透かし  2024/11/23
信家(放れ銘) 題目・生滅者必  2024/6/2
信家(太字銘)  戦争と平和図  2024/9/7
柳生  水月透かし  2024/7/12
赤坂初二代  四方松皮菱透かし 2024/8/14
赤坂初二代 松竹櫃孔透かし 2024/10/17


金山:松皮菱透かし

 
2024/7/4
金山鐔の良いものは簡単な図柄が多いが、この鐔は手の込んでいる方である。簡単な図柄でも良いものは良いが、このような手が込んだもので鉄味が良いものは楽しい。

2024/6/30
鉄骨や地景が見えると、異種の鉄を混ぜて鍛錬する中で生まれると書くが、実際に製作をしているわけではないので不確かである。混ぜるというのではなく、鍛錬、焼き入れの過程でできるのかもしれない。現代に鐔を製作している方に確認することも必要だろう。

2024/6/26
塊状鉄骨、線状鉄骨はまま観るが、この鐔にある粒状鉄骨(米粒の頭のような小さく、丸い鉄骨)を観る鐔は稀である。これも光が強く、美しい。

2024/6/22
同種の鐔が秋山久作の愛蔵品にあり、その箱書が判読できないが、古文書を読める方にお願いして大略は次のような内容だとわかった。「金山鐔の世に残存する物で二つと無き良品と認むる物、また稀なり。余、幸いにして是を(以下はどうもわかりにくいが「得て喜んでいる」というような意味であろうか)。」
明治四十三年七月の字なのだが、わからないものだ。

2024/6/18
鉄というのは不思議なもので、御刀の鉄とはまったく違うが、このような良い鉄鐔の地鉄は生きている感(日々変化している)がする。鉄というより、黒錆のなせる技なのだろうが、楽しいものである。

2024/6/14
この鐔だけは、今でも木綿の布で擦ってしまう。もっと良くなるという気をおこさせるし、現に良くなっていくのだ。

2024/6/10
前回(6/6)、これと同じ手のものが『刀装小道具講座 1鐔工編』に所載されていることを記したが、秋山久作の愛蔵品もこれと同じものだったことを知る。秋山氏の愛蔵品=刀装小道具講座所載品のような気もするが、このような格を持つ作品である。

2024/6/6
私は金山鐔に良い御縁があったとしみじみと思う。所持しているのはこの鐔と福島家の軍旗の山道文図鐔だが、『刀装小道具講座 1鐔工編』の「金山鐔」の項の114ページに図版として掲載されている。

2023/11/11
粒状鉄骨は、表の上右側に、この写真でもかすかに見えるが、美しいものが現れている。他に表の横少し下にあり、裏にも上部左にかすかにある。塊状鉄骨はたくさん観られる。鉄骨の輝きは、鉄の不思議を感じさせる。

2023/11/7
この鐔は木綿布で拭(ぬぐ)いに拭い、擦(こす)りに擦りしてきたが、松皮菱紋と切羽台を結ぶ、一段低くなっている繋ぎ棒の箇所は拭っていない。今度はこの箇所を手入れするか。

2023/11/3
裏の切羽台(写真は掲載していない)は、切羽台に塊状鉄骨が出ており、それを平滑にしているのだが、名残はある。もちろん当該鉄骨部分は黒の輝きが違う。

2023/10/30
松皮菱を横にして据えたデザイン感覚もいい。

2023/10/26
この鐔は、錆付け薬で付けた黒錆と違って、鉄本来が生んだ黒錆が、私が丹念に木綿布で拭うことで現れたものであるのが魅力の源泉である。鉄本来の性から生まれたものだから、鉄が凝固した鉄骨部分などは黒錆の色、輝きが違う。その輝きの変化も面白い。

2023/10/23
木綿で擦った回数は、私の所蔵品の中で一番多い。鉄錆の尽きない魅力がある。

2023/10/18
磨地が輝くのはどうと言うことはないが、この鐔のようにザラザラ感の残る地鉄が照り輝き、中に塊状鉄骨のような真っ黒なつるっとした塊が浮かび出てくるのは面白く、実に魅力的である。く

2023/10/14
この鐔を手にすると、木綿の布-またボロボロになっtなってきたが-を手に取り、何度も拭ってしまう。楽しいものだ。地鉄全体も良い艶がでてきた。一段と黒光りする耳の鉄骨は真っ黒に輝いている。

2023/2/4
2/2に記したことの延長にあるが、この鐔は、未だに手入れの途上という感じがして、つい木綿の布で拭ってしまう。いつまでも鉄鐔愛好の楽しみを教えてくれる鐔である。考えてみれば異常なオタク的態度であるが。
耳の槌目のゴツゴツ感が触りたくなるという面もある。

2023/2/2
全面が磨き地ではなく、細かい槌目地をベースにしているから、表面は黒く輝く鉄だけでなく、奥深い黒錆びもある。その調和がいい。いかにも鉄鐔という感じで、ついつい木綿の布で拭ってしまう。

2023/1/31
ここに掲示の写真は光が強く当たり過ぎているから、いつか差し替えたい。
この鐔は肉取りが実に良い。耳は角耳に丸味を強く出している。そして松皮菱の透かし部分は耳より少し低く感じられる肉置きである。松皮菱透かしの際(きわ)は鋭角のままに彫り出して、紋様のシャープさを出している。切羽台の際(きわ)はわずかに丸めて、松皮菱の際(きわ)とは差別している。松皮菱と切羽台を結んでいる切羽台四角(すみ)の「つなぎ」は一段低くして際(きわ)は丸めている。
この肉置きは神経を使った細工である。そこに、耳に観られる塊状鉄骨、粒状鉄骨が自然の変化をもたらしている。

2023/1/29
この鐔は鉄鐔愛好の極みのような鐔だ。触るたび、御手入れ(今は木綿の布で拭うだけだが)するたびに、鉄味は良くなっている。

2022/1/13
粒状鉄骨は表側の耳に明瞭なのが2つ、不明瞭なのが1つある。塊状鉄骨は表側の耳に6箇所ほどある。裏の耳には塊状鉄骨が3箇所ほどある。耳の横側には塊状鉄骨が9箇所ほどあるが、不明瞭なもの、塊状でつながっているようなものなど、数え難い。

2022/1/11
この鐔は本当に愛玩、撫で回しに応えてくれる。日々、輝きが増し、美しくなる。購入した当時とは雲泥の差になっている。その時に、この鐔の資質を信じて高い値段で購入した自分も褒めてやりたい。

2022/1/9
鉄の槌目地が輝くとこうなるという見本だ。毎日、木綿布で擦るように愛玩することの楽しさを教えてくれる。変な趣味だと思う。鉄塊(てつかい)を撫で回して愛でているようだ。

2021/8/7
心が和む(なごむ)鐔である。この鐔を愛玩していると鑑賞とは眼だけでなく、手指の触感でも行うものだと認識する。

2021/8/5
油も塗っていないのに、油を塗っているかのように輝きがと照りが出る。鉄は不思議で愛おしいものだ。

2021/8/3
鉄、しかも黒錆とは言え錆びた鉄。それが何故、かくも魅力的なのだろうか。自分でも不思議と思う。

2021/8/1
この鐔が「寝床での鉄鐔愛玩日記」の原点の1枚である。いつ頃製鐔されたのかは、この鐔に限らず明確にはわからないが、室町時代の後期から江戸時代の前期と大きくとらえれば間違いがなかろう。500年から400年の間、多くの人に愛玩されてきたのだ。日本の美術品には多くのジャンルがあるが、掌中で玉のように愛でることができるのは鉄鐔だけだと思う。撫で回して、何度も観ても飽きないのが名鐔なのだ。

2021/7/30
この鐔において、切羽台と松皮菱をつなぐのに、四方に一段低くくした棒でつないでいる。この棒無しでも切羽台と松皮菱はつなげると思うが、敢えて、このようにすることで松皮菱はくっきりしている。松皮菱は磨き地に近く、透かしの切り立て部分は角ばっている。一方、耳は大胆な槌目地で丸耳まではいかないが、丸く仕上げている。そして塊状鉄骨、粒状鉄骨などもそのままで荒々しい。このような対比が際立つ面白さがある。。

2021/7/28
購入以来、何度擦(こす)り、拭(ぬぐ)ってきただろう。名物の茶杓に「百万遍」という銘のがあり、百万遍も拭ってきたからとの伝承から付けられた銘とのことだが、この鐔も十万遍は拭っていると思う。そして拭えば拭うほどに鉄味が良くなるからうれしい。

2021/7/26
この鐔は岐阜の老舗の刀屋さんが店じまいをするとのことで、帝国ホテル(記憶が薄れているが)で即売会をした時に、購入したものである。当時は手入れ不十分で不要な錆も出ていて、しかも価格は高く、当時の数寄者(高名な愛好家は多く来場されていた)には見向きされなかったのだろう。「ワオー」で購入したのではなく、いかにも金山鐔らしいたたずまいに惹かれたのである。もちろん岐阜の刀屋さんであり、面識も無かったが、その場に藤代興里氏がお見えになっていて、声を交わしていたのを、刀屋さんが目にしていて、「藤代先生のお知り合いなら」とかで2割ほど値引いてくれた記憶がある。
今でも手入れ(木綿布で擦るだけだが)で良くなり、楽しませていただいている。上記写真の耳の上・右側には粒状鉄骨と塊状鉄骨も見えるだろう。

2020/12/21
この鐔は紫錆の部分も黒錆に近いところまで変化がある。また少しざらついた黒錆部分などもある。金山の山道文透かし鐔の方は全面的に焼手が強く、紫錆が全面に覆っていて美しいが、どちらを好むかは個人の好みによるが、いかにも良い鉄味だと思うのは山道文の方だし、手入れの楽しみ、錆色の変化を楽しむのは松皮菱透かしの方だ。(同文を山道文透かし鐔の方にも記す)

2020/9/20
山道文の金山や太字銘信家「戦争と平和」は焼手が強い(更に高熱で熱している)。これらは手入れで鉄の輝きが増すことはないが、この鐔は手入れに応えてくれる。

2020/9/17
黒錆(四酸化三鉄)は下記の2つの方法によって出来、自然には発生しないとされているが、刀の中心(なかご)の錆は高温で熱してもいないし、錆び付け薬も用いていない。赤錆が深く付いて、擦れて黒く見えるだけかもしれないが、やはり黒錆だと思う。だから赤錆が摩耗することで黒錆に転換することもあるのかなと思っているが、どうであろう。

2020/9/13
黒錆は高温で熱する(焼手をかける)か、錆び付け薬を用いるかして発生させる。この鐔は高温で熱して発生させたのだと思う。その時の高温が適切だったのか、熱する時間が適切だったのか、あるいは鉄の素材そのものが良いのか、それを鍛錬した過程が適切だったのかがわからないが、魅力的な黒錆になっている。もっともこの鐔が出来てから現在までの時間も大きな要素だが、私の手入れ(ただ角で赤錆を落とし、木綿の布で拭き込むだけだが)も寄与していると自負している。

2020/9/11
錆びの無い、曇りの無い刀身の輝きもいいが、鉄の黒錆が奥深いところから輝いているのも美しい。そして、その黒錆が鐔によって色合い、風合い、輝きが違うから楽しい。

2020/9/9
耳の横ではなく、表面(おもてめん)に出ている粒状鉄骨、塊状鉄骨と、塊状鉄骨が崩れて伸びたところ、湯だまりのような箇所などを見ていると、信家の作風や織部の歪んだ美に共通する感もあり、やはり桃山時代のものだと思う。

2020/9/5
丸みを帯びた耳と、角柱の松皮菱の形状の差も面白い鐔である。

2020/9/2
朝からカッと照りつける夏の日が過ぎて、今朝はどんよりした曇りである。この光の下で、この鐔を観ると、地鉄は真っ黒に輝き、その輝きに重みがあり、実に見事。

2020/8/31
金無垢目貫の金色と輝きもいいが、鉄の深い輝きも魅力があると、改めて思う。

2020/8/27
黒錆に光沢があっても奥深い感じなのは鉄の表面の微妙な変化がしからしめるところなのだろう。

2020/8/25
今日は裏面の横下の松皮菱の一辺を角で磨く。赤錆が浮き、木綿の布で拭き取った時に、その赤茶色が布に付くと嬉しくなる。以前よりわずかでも手入れが進んだことなのだ。

2020/3/6
磨地で鉄が輝くのは当たり前だが、このようにざらつきのある鉄が輝くのは奥が深い感じで別の趣きがある。そこに粒状鉄骨や塊状鉄骨の輝きの塊である。

2020/3/2
中の松皮菱は鎚目を均して、磨き地に近い仕上げにして、丁寧に作ってある。切羽台と松皮菱の接合部も一段落として模様を損なわないようにしている。

2020/3/1
私も懲りない性格だ。昨夜、また角で裏の切羽台を擦ったら、また良くなった。この種の鉄は面白い。

2019/11/9
この写真も変える必要がある。今はもっと良くなっている。寝床に持ち込むのに一番良い鐔だ。この鐔の鉄地の表面から、私のDNAが抽出できるほどではないか。コンパクトにまとまっている。耳は鎚目に塊状鉄骨、粒状鉄骨と変化に富み、中の松皮菱は磨地に近いほど平滑に仕上げている。作者の工夫が感じられる。

2019/6/12
地鉄の面白さは造り込みの変化からもくる。耳は角耳を丸めている。松皮菱は平面だ。菱と切羽台をつないでいる箇所は一段と低い。この変化も鉄色に変化をもたらしている一因だ。

2019/6/11
地鉄の面白さは、この鐔だ。塊状鉄骨、粒状鉄骨の真っ黒で堅そうな艶のある所がいくつかある。全体に青紫に光沢の出る鉄である。そして、鎚目の凹んだ所などにざらついている鉄も残るという具合に変化に飛んでいる。青紫に光沢の出る地鉄は手入れの進み具合で、光沢に差が出ている。こういう変化を楽しむ為には、あまり手入れし過ぎない方が味があるのかもしれない。

2019/1/6
表の切羽台に比較して、裏の切羽台の方が細工が粗い。所蔵のもう1枚の金山「湯沸文透かし」も裏の切羽台を摺っているようなところもあり、これは笹野氏の本所載の金山でも、同様の記述がある。だから金山の手癖として、裏の切羽台の処理が粗いところはあるのかもしれない。

2019/1/4
好きな鉄味である。鉄は刀剣のように磨いても美しいし、このような黒錆に覆われても美しい。加えて人類の実用に一番役に立つ。素晴らしい素材である。

2018/11/11
木綿の布で拭き込めば拭き込むほど良くなる。今は裏の切羽台を拭き込んでいる。一時的に切羽台の責金の銅が光ってしまうが、銅は問題なく、すぐに落ち着いた色になる。

2018/11/10
久し振りに観たら、ドキッとするほど、いい鉄色だった。存在感のある鐔だ。

2018/6/5
磨地に対して槌目の面白さは、地鉄の細かい変化が黒錆の輝きの変化につながるところも一つある。

2017/11/8
しばらく布で擦っていた。裏面の切羽台には表面に出た大きな鉄骨を磨いて平らにしたような痕跡もある。この鐔には耳の表面にも塊状、粒状の鉄骨が出ているが、大半の鐔は耳の横に鉄骨が残る。表面の鉄骨は取り除くのだろう。実用の道具なのだから。

2017/10/29
この日記の6/17に記したが、鐔の表面に4段階の高低と地模様の違いがあるので、同じ鉄の錆色でも異なり、また光の反射も異なるから、面白い。

2017/10/26
先日の日経新聞夕刊に、ある趣味人が茶杓の竹の艶を出すために何度も拭き込む。それでも駄目で百万遍も拭き込む目標に因んで茶杓の銘を「百万遍」としたと言うようなことが書かれていた。
これを読んで、鉄鐔も更に拭き込むことの大切さを認識した。それに答えてくれるのが、この金山だ。鐔立てに出した。拭きはじめるぞ。

2017/7/23
いい鐔は切羽台が時代なりの形で、丁寧に作られているが、この鐔の切羽台も見事な形で、櫃孔部分の窪みの整え方も実に丁寧だ。耳の金山らしいゴワゴワ感とは別のものだ。

2017/7/13
また1ヶ月ほど、いじくり回して、表面を撫でてきた。自己満足と言われるが、良くなったことは確かだ。今回は裏面を重点的に擦る。鉄は生きていると実感する。

2017/7/3
ずっと木綿で擦っている。わずかな変化だが、良くなってくる。トロッとしてくるのだ。今日、気が付いたのは粗い鉄ゆえに鉄骨の輝きが増すということだ。

2017/6/27
鐔を握りしめると、耳が掌(てのひら)に触れるわけだが、温かみを感じる。鎚目地、鉄骨が擦れて、こなれた感じなのだろうか。小ぶりの大きさが馴染むのだろうか。

2017/6/17
この鐔は立体感を感じる鐔だ。写真を見て欲しい。まず厚い。そして耳は角耳だが丸味を帯びて少し平地より高い。耳には塊状鉄骨も出ており、盛り上がっている。松皮菱は整った平地だ。ただし耳に接した角部分は耳の上に形を出して食い込ませている。切羽台も松皮菱と同じ平面だ。だから耳側より少し低い切羽台だ。さらに切羽台と松皮菱を接続している箇所が模様を邪魔しないように低い丸みを帯びた棒でつないでいる。都合、四段階の高さがある。

2017/6/15
この鐔は、耳がトロッとした少し肌理(きめ)の細かい鉄、中の松皮菱と切羽台は、そこまで肌理は細かくない感じの鉄と、触られた回数の違いなのか、あるいは表面処理(松皮菱は丁寧な表面仕上げ)の違いなのか変化があるのも面白い。こういうことで、よりいじくりたくなる。

2017/6/11
磨き地の鐔ばかり観ていると、この鐔のような鎚目地のゴツゴツが見たくなる。鉄の表情は面白い。

2017/3/5
鉄の肌理(きめ)は粗い。焼き手が弱いのだろうか。肌理が粗い鉄には輝きは出にくいのだが、それが鉄の不思議で、擦るたびに輝きを増す。鉄骨部分の輝きが特に目立つ。湯沸文の金山鐔は焼き手が強く、トローンとした鉄だ。こちらの鉄の方を好む人は多いかもしれないが、粗い鉄が輝くのは魅力的である。

2017/3/3
裏の切羽台上部、下部には少しザラザラした鉄が残っていて、その分、黒錆の輝きが少ない。購入当初に比べると、今では光沢の出てきている部分が多くなったが、今でも、この鐔を愛玩する度に、手と布で擦っている。これだけで輝きがでるが、あと百万回くらい擦るぞ。(この時、上下の銅の責金も光ってしまうが、これはすぐに直る)

2017/3/2
松皮菱の透かしの線の太さも良く吟味されていると思う。これ以上細いと繊細になりすぎて耳の太さ、ゴツゴツとマッチしない。逆にこれ以上太いと粗野になりすぎる。

2017/1/20
この鐔は今でも愛玩するたびに鉄味は良くなっている。鎚目地で、肌理の粗い鉄だから、愛玩するたびに、細かい摩耗があって艶が出て、鉄味が良くなるのだろう。楽しい鐔である。

2017/1/12
肥後の名鐔とは違った良さがある。それは鉄骨などの出る地の変化と磨き地に錆付けしたのと違う、焼き手による錆付けの違いだ。より素朴な感じなのだが、技術や芸術的センスは遜色ない。


2016/11/15
昨日、下記のように記したが、「桃山時代の小ぶりな金山鐔-出雲阿国のファッションからか?-」を改めて読むと、<検討課題7:桃山期の一時期に流行したにしては、小ぶりの金山鐔の数が多すぎるのではないか>と問題提起をしている。この時は西鶴の『好色一代男』の記述を把握していなかったから、このように書いたが、この検討課題に対して、次のように考えることも可能である。
①小ぶりな金山手の鐔は出雲阿国のファッションから桃山時代に流行した。(第一段階)
②寛文~元禄期は町人の帯刀にどんどん制限が加えられてくる時代だが、当時のお大尽に「町人ごしらへ七所の大脇指、すこし反らしてあゐ鮫を懸け、鉄の古鍔ちひさく柄長く、金の四目貫うつて、鼠屋が藤色の糸」などが流行する。七所の金具、アイ鮫、金の四目貫や高級な下げ緒は買えないが、「古鐔小さい」のは買えた。しかし古鐔の数には限りがある。そこで、この時期に新作として多く作られた。(第2段階)
③この結果として小ぶりな金山は多く残っている。

では当時の新作の金山鐔は、どのようなものかと問われると思うが、在銘も無い現代で明確にするのは難しい。何となく、これは時代が下がるのではと思うものはあるが、御持ち主が室町、桃山と思われているものを指摘しにくい。
もっとも、時代が下がると言っても、寛文~元禄期は林又七も西垣初代勘四郎も古赤坂が活躍した時代である。

2016/5/27
これが「本当の金山だ」と言ったが、この鐔のような大きさで、透かしも紋を菱形に据えて透かしたような鐔がある。笹野大行氏の『透鐔-武士道の美』におけるNo100の「雷紋四つ割菱透」とNo101の「四つ割菱透」である。笹野氏は、これらの鐔を尾張に分類している。実際に現物を拝見しないと明確には言えないのだが、透かしの感じ、全体の形態から私の松皮菱透かしと同一作者と思っている。
ちなみに笹野氏は晩年の著書『透鐔』では、上記の「四つ割菱透」をNo132の「割菱透」として金山鐔の中に含めている。鉄骨の形状や有無で区別するのは難しいし、意味が無いのだと思う。

尾張の名称や製作地については所蔵品の「桐・三階菱透かし」における三階菱紋から刀剣愛好家を輩出した阿波三好氏が畿内に勢力を伸ばした時に作らせたのではないか。すなわち三好氏が勢力を及ぼした堺、京、奈良で製作されたのではないかと推論したが、この松皮菱も阿波の三好がらみが出自の紋であろう。松皮菱紋は室町末期から桃山時代にかけて流行した文様であり、尾張出身の丹羽長秀が本陣の旗にも使用しているが、この松皮菱透かし紋の鐔も堺、京、奈良あたりで製作されたのだと思う。

2016/5/25
一年ほど前、ある刀屋さんが「最近は協会の極めで金山が多く、金山鐔の真価が損なわれている。これが本当の金山ですよ」と私に見せていただいた鐔があった。良い鐔だが、私から言わせれば、それも今一歩のモノだ。私の所蔵品のようなのが数寄者が色めく本当の金山(桃山期)だ。厚さも耳は7ミリ、切羽台は6ミリあり、大きさは小ぶりだが、それでも縦横それぞれ7センチ以上あるのだ。透かしの線は力強いが粗雑ではない。きちんとした印象を持つ。
何よりも鉄骨の景色がいい。耳の表面に出て、適度な暴れ具合だ。鉄骨が耳の横に出て、出自を暗示しているだけではないのだ。表面で変化を付けているのだ。焼き物の釉薬の変化を愛でるようなもので、茶道の美意識の延長だ。

2016/5/24
この鐔の耳には塊状鉄骨の外に粒状鉄骨(米粒の頭のような小さく丸く黒光するもの)が表側だけでも、鮮明なのが1つ、これもそうだよなと言うのが2つある。諸書には粒状鉄骨は足利期に多いとか、粒状鉄骨が出る地鉄は澄んだ紫錆で精良、一方で塊状鉄骨の地鉄はやや質的に粗だが、深い紫錆で手強いとある。
このように同じ鐔(少し粗い鉄)に併存しているから、地鉄の質そのものの違いではなく、鍛錬や焼き手加工の温度による結果なのであろうか。私にはわからない。

2016/5/23
この金山は、本当に手入れで良くなった。手入れと言っても、赤錆を角で落とし、あとは、ただひたすらに木綿の布で拭うだけだが、光沢がどんどん出てくる。江戸時代の磨き地で鉄の密度が高い綺麗な鉄は手入れしても変わらないが、このように鉄の粒子が少し粗い鉄は触れば触るほど変わっていく。このコーナーで紹介するのに、もっともふさわしい鐔だ。
この松皮菱透かしは耳が角耳に小肉を付けるだけでなく、耳の表面にも小肉が付いて円環に近いような雰囲気だ。中の松皮菱の透かしや切羽台には小肉は付いていないから、そのような地の変化も面白い。さらに加えて松皮菱を切羽台に付けている部分が、もう一段下がっている。

金山:山道文透かし(福島正則家の軍旗模様)

 右は福島正則の軍旗
この透かし文様は福島正則の軍旗「山道文」か?
2024/12/17
「刀和」に寄稿した拙論「この透かし文様は福島正則の軍旗「山道文」か?」のリンクを図版の下に挿入した。美術品における鉄の分析ができるようになれば、所蔵している信家(太字銘)の「戦争と平和」図と私が称している鐔と同じ鉄質だとわかるのではなかろうか。信家工房の者が製作した透かし鐔だと思う。

2024/5/4
金山鐔と分類される鐔に出る鉄骨の面白さは、いつ発見されたのであろうか。通常、製品として世に出して、高く売ろうと思えば、表面を滑らかにして磨き地にすると思う。ある日、工人が、鐔としての機能は変わらないから、このままで売りに出そうと考えたのだろうか。そして購入した人もおもしろい、味があると評価したのであろうか。

2024/4/30
山道文が耳と接する所を少し太めにして、安定感を出している。製作している中で気が付いたセンスと思う。

2024/4/26
この鐔には、刀で言うと金筋のような輝く線状の鉄がいくつか出ている。この欄の2022/2/18にも記しているが、他に耳の左上部内側寄りにもある。耳横の筋状の線状鉄骨と同じなのかもしれないが。

2024/4/22
福島家が改易になったから、史料が残っていないですが、「芸州住信家」と銘した「太字銘信家」とは地鉄に共通性があり、関係があるはずです。

2023/6/6
この写真では、少し暗くなってしまい判別しにくいが、右下の山道文の表面には湯だまりと称される鉄の塊が崩れたような働きが観られる。太字銘信家にも観られるものと同様である。同時期に同じ芸州福島家に使えた鐔工の共通点の一つである。

2023/6/4
この曲線状山道文以外に、直線的な山道文(この方が多い)、それから肥後拵の頭(かしら)にあり、私が刀和の2022年9月に発表した「肥後拵・慶長拵の山道文」もある。しかもこれは波路山道という常識では考えられない取り合わせである。この時代になんでこの文様が流行したのだろうか。不思議である。

2023/6/2
福島家の領地、安芸で太字銘信家と、鉄味が共通しており、有縁ではないかとと論じたが、信家在銘の透かし鐔と切羽台の形状に共通性があるかを『信家鐔集』で確認すると、信家在銘の透かし鐔(車透かし(4枚)、角形格子透かし、社頭透かし、巴透かし…全てが太字銘ではない)の切羽台とも印象が異なる。もっとも在銘のこれら透かし鐔、それぞれの切羽台も同一ではない。この鐔は櫃孔の関係で両脇を直線的にしており、そういう意味でも違うのか。

2023/5/31
足軽は別だが、石取りの武将が戦場に赴く時は、自分一人ではなく、石高に応じた従者を連れて行く。足軽の鉄砲、長鑓は集団に組み込まれて戦う。武将も階級ピラミッドに応じて組織化されるが、自分の従者や馬は共に戦う。従者には、自分が用意した武器を貸与するわけである。だから武器にも一族の印(しるし)を共通に付けることもあると思う。
(余談だが、馬は貴重品であり、馬乗り身分の武士は然るべき身分となる。そして馬は戦いの従者とは別に世話する者が必要である。こう考えると騎馬隊という集団に組み込まれたとは思えない。馬に乗った武将を中心に従者が小集団になって戦うのが自然である)

2023/5/29
廃絶された大名家の記録などはほとんど遺っていない。歴史は勝者の記録に過ぎないというのは事実である。福島正則家も同様である。私の、この鐔における推論が正しいかは証明できないが、乏しい傍証から積み上げていくのも、オタクの道としてはいいのかなと思う。別の図柄で、この鐔と同じような地鉄、特に切羽台の形状が同じ鐔が出現すると面白いのだが、いくつかの書籍で検討していきたい。

2023/5/27
この鐔については「刀和」で2022年7月に「この透かし文様は福島正則の軍旗「山道文」か?」と発表したが、良い鐔である。芸州に移った信家と、まったくと言って良いほどに同じ地鉄である。

2022/2/20
この鐔と同作者(同工房)が製鐔したと想定される同図の鐔が『刀装小道具講座 1 鐔工編』(若山泡沫著)ー「金山鐔」の解説114頁に所載されている。中心孔の上部の鏨の具合などよく似ている。山道文の曲がり具合は私の所蔵品の方が若干大きい。

2022/2/18
右側の笄櫃を兼ねた透かしの線(笄櫃の枠線)に少し色の変わった筋が観られる。傷ではなく、金筋のようなものだがルーペで観てもわからない。

2022/2/16
この鐔も掲示した写真よりも、実物の方が断然いい。この写真では下部が暗くなっている。そして全体の光沢が写真では現れていない。耳と山道のつなぎ部分は少し太くして安定感を出している。

2022/2/14
今朝、起き抜けに拝見すると、スケールの大きさを感じる。金山にしては大きい為でもあるが、作者、あるいは時代のしからしめるところであろう。

2022/2/12
今、この鐔を拝見して、あることに気が付く。これは改めて項を立てて述べたい。
焼き手を強くかけた鐔の面白さである。このように焼き手のかけ具合で黒錆び、地鉄の変化はわかるが、機能面ではどうなのであろうか。折れやすくなるとかなどの変化があるのだろうか。もっともこの鐔の鉄は弾力もある感じで、むしろ柔らかさを感じるが。


2021/9/6
耳に筋状の鉄骨が2箇所出ている。太字銘信家にもあるが、それよりも鮮明である。表右側の櫃孔(左右同型だが笄櫃)の枠上に線状鉄骨を摺ったものか、地景のような線も見える。塊状鉄骨は表裏の数カ所にある。崩れて湯溜まり状になっている箇所もあるが、そのままでなく摺って潰しているような跡がある。

2021/9/4
太字銘信家(戦争と平和図)の地鉄とよく似ているのだが、黒錆の輝きはこちらの方が優る。ただ鉄味の妙は輝きだけでないから、後は好みだろう。

2020/12/25
今の世の中で、鐔だけを観ると、磨地ではなく、このような槌目地の方が味があり、楽しいのだが、拵の中の鐔とした時は、磨地の方が収まりがいいのだろう。

2020/12/21
この鐔は全面的に焼手が強く、紫錆が全面に覆っていて美しいが、金山の松皮菱透かしは紫錆の部分も黒錆に近いところまで変化がある。また少しざらついた黒錆部分などもある。どちらを好むかは個人の好みによるが、いかにも良い鉄味だと思うのは山道文の方だし、手入れの楽しみ、錆色の変化を楽しむのは松皮菱透かしの方だ。(同文を松皮菱文透かし鐔の方にも記す)

2020/12/19
鉄味、紫錆という意味では、この鐔が最たるものであろう。地は槌目で荒々しいのだが、耳の幅が狭いことと、曲線の透かしによって優しさが出ている。

2020/12/15
太字銘の信家と同種の鉄味であり、改めて耳の横側の鉄骨を調べると、線状鉄骨が長さ1.5㎝ほどの細くくっきりと出て、その下に太い線状鉄骨がやや斜めに1㎝ほどある。その下に塊状鉄骨をつぶしたものがある。左斜め上に薄く線状鉄骨が0.7㎝ほど見える。左横やや上にくっきり2㎝ほどの線状鉄骨、その下に塊状鉄骨をつぶした痕跡である。
鐔の表面には塊状鉄骨や線状鉄骨を潰した跡はある。裏の左上には線状鉄骨の尖端が粒状鉄骨のようになっているところもある。
鍛え割れは無いが、湯だまり(表面が溶けて崩れたような変化)は表の右下の山道の中程に出ている。裏も同様な箇所に出る。
この地鉄の表情も太字銘信家に似ている。

2020/2/14
寝床でいじくるのには良い鐔である。表面や耳に象嵌があれば気を遣う。表裏の面の鉄骨は写真でもわかると思うが、改めて耳を観ると、、右側上部に線状の鉄骨が2㎝ほどの長さで出ている。右斜め上には明確でない線状鉄骨が1.3㎝ほどある。そして左横下部に1.2㎝ほどの線状鉄骨だ。この下には線が太く塊状に近い鉄骨が入る。

2019/7/31
この鐔の切羽台は大きい方だが、切羽台の大きさは、その時代の刀の長さに関係するのだろうか?「長く、豪壮な刀の場合は切羽台も大きい」ということである。
桃山時代は国広、康継、重国など元の長さは2尺6寸程度の長尺も多い。だから長尺の刀が多い桃山時代=切羽台が長い桃山時代の鐔となるが、検証が必要である。

2019/7/25
もちろん、確実に製作時代を判定できたわけではないが、それでも何となく時代判定の手がかりを得ると、研究は進むものである。こんなことも寝床に持ち込んでひねくり廻しているから浮かんでくる発想である。

2019/7/23
図柄が福島正則の軍旗、地鉄が福島家に後に抱えられたと考えられる太字銘信家と同じ。そして福島正則は尾張で生まれ、伊豫今治11万石→尾張清洲24万石→芸州広島50万石となるが、尾張と縁があることは間違いがない。
私は尾張と称せられている鐔工について、尾張にいたことは懐疑的であるが、簡単に否定できないとも感じている。(尾張鐔の昔の定義では今は金山とされているものも含めていたと言われている)

2019/7/21
この鐔の鉄味を数寄者は紫錆と称して愛でたのである。黒く、潤いがあって輝いている。

2019/7/20
所蔵するもう1枚の金山「松皮菱透かし」に関して「桃山時代のファッション-「松皮菱模様」」としてまとめたが、ここでも丹羽長秀の本陣旗印に使用されている例を図示している。武器に使われた時代は武に関する模様が基本なのだろう。

2019/7/14
しっくりくる意匠名が判明したせいか、改めて拝見すると、より良く見える。雑兵用の胴鎧、陣笠は「御貸し具足」(他に籠手、脛当)として召集した足軽に貸与したものだが、そこに合印(部隊のマーク)が附けられていることが多い。古甲冑師鐔や古刀匠鐔の簡単な模様も貸与された刀(御用意刀)における合印の可能性もあると思う。
透かし鐔は作製に手間もかかるから御用意刀には附けないと思うが、一門の武士が同じ意匠の鐔を附けたり、御家に縁のある模様のものを身に付けるというのは不思議ではないと思う。

2019/7/12
『戦国武器甲冑事典』を観ていたら、各武将の軍旗が掲載されており、福島正則の軍旗の山道文がこの鐔の透かしと同じであり、透かしの意匠名は湯湧文より山道文が良いと判断しました。この鐔の鑑賞記に経緯を記述しております。ここの2016/7/24にも太字銘信家と地鉄が似ていることを記してますが、太字銘信家は後に芸州信家。すなわち福島家の抱え工。だから、この鐔も福島部隊のもの、すなわち桃山期の製作と考えるのが無理がないのかもしれません。

2019/4/23
曲線の透かしだから、少し優美な印象ももたらすのだろうか。地鉄の感じは武骨で、金山にしては大きく、縦二本の曲線が伸び伸びとしたところを感じさせるのだろうか。

2019/4/21
透かし鐔のデザインは多様だが、この鐔のデザインもユニークだ。二つの左右対称の曲線で鐔に必要な機能(櫃穴)を創りあげ、後世に左右大透かし、海鼠透かしなどと呼ばれるデザインと同種のものを表現している。
切羽台と耳との接続は4カ所と少ない分、実用を考慮して太くしている。

2019/4/20
この鐔は所蔵の室町古鐔(車透かし)から感じる冷凍寂枯は感じず、少し伸び伸びしたところを感じる。かと言って豪放な感も抱かない。もちろんキチンとした感じもない。我々の周りの人間も同時代に暮らしても、新しい感覚な人間もいれば、昭和だなと感じる人間もいる。だから印象を時代に結びつけるのは危険だが、強いて言えば戦国期から桃山期の感じがする。

2019/4/19
角耳・槌目・切羽台長の要素で、所蔵の室町古鐔に次いで古く、地鉄の感じで所蔵の信家(太字銘)に通ずる所がある。耳の線状鉄骨2カ所は長く、尾張骨というよりは赤坂などに近い。櫃穴は櫃穴らしく無いが、左右同形である。大きさは縦8㎝近くあり、大きい。地鉄は信家(太字銘)と似ていると言っても、色はこちらの方が少し黒めである。しかし室町古鐔ほどに黒光はしていない。

2019/1/10
この鐔に限らないが、金山には抽象的な図柄の透かしが多い。これは禅宗の石庭のような感覚と共通するのではないだろうか。

2019/1/9
改めて見ると、ゴツく、豪快な感じだけでなく、優美なところも感じる。

2018/9/14
寝床で触る、この鐔の耳の感触は、室町古鐔の耳と同じような感触だ。古い時代の角耳に共通する感覚であろうか。地鉄は太字銘信家と同じような感じであり、製作時代に決め手はない。

2018/9/9
耳の部分と透かしの繋ぎは太く、強度に配慮している。鑑賞上も安定感が出ているようで良いと思う。

2018/9/8
所有している松皮菱透かしの金山鐔とは、別の工房だと思う。時代はこちらの方が古いと思う人が多いだろうが、私はまだわからない。なかなか雄大な感をいだくが、重厚とか重々しい感じはしない。

2018/9/7
良い鉄味で、太字銘信家と同じような鉄質である。切羽台は堂々とし、透かしは曲線を使っているが逞しい。

2017/7/16
この鐔は焼き手が強いので、錆色は固定されているから、手入れのたびに良くなるという松皮菱透かし鐔のようなことはない。良い鉄味、鎚目地に鉄骨の味わい、頃合いに大きく、透かしのデザインも簡素ながら味があり、堂々とした鐔だ。耳、切羽台への透かしのつなぎがやや太くなっているところが堂々とした印象のもとなのか。

2017/3/11
不思議な鐔を見かける。この鐔ほど焼き手が強くないが、同様の良い地鉄で塊状鉄骨が多く、また耳横に筋状鉄骨がある。透かし鐔というより、板鐔に影透かしというもので、持ち主は尾張とされている。尾張鐔の良いものにある外に広がる感じは無く、この鐔と同様に、現在の分類では金山とした方がいいものだが。

2017/1/22
尾張と金山という分類も、戦前は無かったとも聞いたことがあるが、この鐔などは昔は尾張と極められていたのだと思う。今でも筋状鉄骨を尾張骨と見る人もいるのだろう。無銘の鉄鐔は本当のところはよくわからない。

2017/1/21
この金山鐔は「松皮菱透かし」と違って、焼き手が強く、鉄がとろーんとしている。だから手入れをするまでもなく良い地鉄である。その分、手入れで良くなるという感じではない。耳に筋状鉄骨が明瞭に2箇所。地は塊状鉄骨を潰して平らにしたような鎚目である。

2016/11/14
「刀装具の研究ノート」に金山鐔-「町人好んで用ゆ」の根拠(2016年1月6日)を記したが、西鶴が『好色一代男』で書いたように、当時のお大尽(大金持ち)が「町人ごしらへ七所の大脇指、すこし反らしてあゐ鮫を懸け、鉄の古鍔ちひさく柄長く、金の四目貫うつて、鼠屋が藤色の糸」というファッションを身に付けた為に、「古鍔で小さい」ものがもてはやされたので多く残っているのが小さいもの(脇差用)になったのであろう。七所や金の目貫はお大尽で無ければ持てないが、「古鍔の小さいもの」は手軽に買えたから、多く伝わったと言うわけだ。
同時に「古鍔の小さいもの」に似せた鉄鐔が元禄前の寛文時代に多く作られたのであろう。金山と言っても、時代が上がらないものも、世の中には多い。

そして、この鐔のように大きいもの(大刀用=武士階級の差料)は、当時の武士階級には好まれずに、いつしか消失し、現存するのが珍しいのではなかろうか。当時の武士は磨地の鉄鐔(肥後林派、西垣派、赤坂鐔、越前鐔など)を好んだのであろう。裃差しの大小には鉄骨が出た鎚目地のものより、磨き地のものの方が折り目正しい。

また金山鐔はこのように大きい鐔(大きいと言っても、常の金山より大型で約8センチの直径)もあるが、作られた量は小型のものが、そもそも多かったと思う。それは桃山時代に大刀にも小型の鐔を付けるのが出雲の阿国のファッションで流行したからとも思う。それは「桃山時代の小ぶりな金山鐔-出雲阿国のファッションからか?-」と取りまとめている。

2016/7/27
この鐔の表面には塊状鉄骨が出て、それを磨ったような跡がいくつかある。そして耳の外側に結構長い線状鉄骨が出ている。これは鑑賞記の中で写真付きで説明している。尾張骨と呼ばれる線状鉄骨よりも細く長い感じである。初二代忠正と思われる古赤坂に見る線状鉄骨よりはっきりしている。諸書に金山鐔が所載されているが、線状鉄骨が出ていると書いている本はない。何なのだと思うし、古い時代の鉄鐔のことはよくわからないというのが本当なのであろう。もっとも、わからないことと芸術的価値は別である。

2016/7/26
裏を磨ったような跡(片側が平滑になっている)があるが、何度観ても、錆色は表と同様である。裏の磨っていない箇所とも同様である。だから当初から、このように加工したものと考えられる。製品として、このような形で市場に出したものであろう。
この手の金山鐔に、このように裏を磨ったものが何枚かあることも、上記の考えを裏付けると思う(もっとも、私自身は笹野大行氏が、氏の著作で裏を磨ったと述べている鐔を拝見していないので、同様な感じかは不明であり、断言はできない)。
鐔は、当時は刀装における装具の一つであり、芸術品を目指したものではない。だから、このような形で残ったのではなかろうか。
別に鐔の切り立てに細かいヤスリ目が残っている鐔(良い金山)、表面に細かいヤスリ目が残っている鐔(尾張と極められた高価な鐔)を拝見したことがある。大らかに製品化したのであろう。

2016/7/24
意匠は、左右大透かし、海鼠透かしと同様でもある。左右大透かしは肥後信長拵にも使われているが、私の肥後信長拵の写しでもそうだが、この拵にはよくマッチする透かしである。肥後拵は天正拵の次ぎの慶長拵の亜流であり、このような透かし鐔は、慶長拵期に流行ったとも考える。
鉄の錆色は焼き鈍しが強く、太字銘信家とよく似ている。私は切羽台の大きさ(縦が長い)から、この鐔の時代を永正備前の前期頃ではと推測したが、この手の透かし鐔全体の時代をもっと下げて、この鐔などは慶長期にした方が正しいのかなとも思う。
左右大透かしを意図したのであれば、デザイン感覚も新鮮である。

2016/7/23
この鐔、金山にしては大きいということだけでなく、観て、触っての印象として、スケールの大きさを感じる。どうして、このように感じるかはわからない。

信家:題目・生滅者必(生者必滅)

 
2024/6/2
信家木瓜という形の魅力を書いたが、この鐔における耳の打ち返しも魅力的である。自分の銘を切るだけに作家意識があり、また自分のセンスに自信があったのであろう。

2024/5/29
江戸時代になると、州浜形の櫃孔は笄が入るものとして、鐔の表側では右側に来るが、この鐔は表側の左側に州浜の櫃孔がある。これは次のように考えられる。①櫃孔の常識通りとして、「生者必滅」の彫りがある方が表で、「南無妙法蓮華経」の文字が裏となり、この州浜櫃には笄を挿した。②この頃は州浜形が笄櫃という常識は広まっておらず、題目側を表として、州浜形の櫃孔(腰側)には小柄を挿した。③これは短刀用の鐔だが、短刀の場合は反りが無いから、刃部を上にして腰に差すので、これで良い(ただし、そうすると大事な題目の文字が反対になる)。④州浜形櫃孔には掟通りに笄を挿した。笄が腰側になるが、当時は別に決まりは無かった。

2024/5/25
信家木瓜という言葉もあるように、木瓜形には種々あり、しかも皆、形がいい。信家のみどころの一つは形状であるとつくづく思う。

2024/5/20
中村覚太夫が信家鐔の拓本を取り歩いていた当時は、どなたがこの鐔を所有されていたのであろうか。仮に関ヶ原合戦の時1600年にこの鐔できたと仮定して、現在に至るまで420年間、一人が30年と仮定すると14人となる。その内の一人が私であるが、意外に少ない気がする。

2024/5/16
「南無妙法蓮華経」の文字はデザインとしても完成されていて、鐔の形状にピタリと収まっている。裏の「生者必滅」(生は必ず滅ぶ)は、注文主の要望で、入れたのではなかろうか。あるいは信家が当時の武士に好まれるいくつかの成句の一つとして彫り、店頭に出したものであろうか。

2023/8/27
「刀和」(令和5年5月号)で発表の「江戸の信家鐔愛好家 中村八大夫知剛の職歴、仕事ぶり」をリンク。今回の調査で、中村家が「神君伊賀越え」にお供した伊賀者の子孫で30俵3人扶持の御家人身分だが、祖父、父と勘定方になったことを知る。勘定方はある程度能力主義であり、自分の才覚で出世できたわけである。ロシアとも対等に外交交渉をし、ロシア人からも高く評価された川路聖謨(かわじとしあきら)も勘定方で能力を認められた人物である。

2022/1/13
「経」の糸偏は鏨(たがね)で曲線の曲がるところも外して切り直すことなく、滑らかに続けているように見える。自在な鏨技術があったのだろう。

2022/1/11
この表の「南無妙法蓮華経」の「経」の糸偏の最終画のひげ題目は切羽台を廻るように伸ばしており、このデザイン感覚は素晴らしい。鏨の強さ(深さ)は「無」と「経」である。拵に付けた時に一番目立つのが表の上部と表の右側である。それを意識したのだろうか。

2022/1/9
南無妙法蓮華経と唱え、生者必滅、生者必滅と思い、敵に突っ込んで行く。戦国乱世の生き様を表している。

2022/1/7
信家の魅力の一つは造形美。信家木瓜という言葉があり、昔の識者は「信家は形を見れば真偽がわかる」と述べたそうだが、これがポイントであろう。

2022/1/5
1/3の日に髭題目のことを記したが、信家鐔集の17図、38図、82図、97図、120図に題目の鐔があり、不鮮明でわからないものもあるが、南無も妙も蓮華経も髭題目になっている鐔もある。小型の鐔にあうようにアレンジしたのだろう。

2022/1/3
この鐔の「南無妙法蓮華経」は、最後の「経」だけが日蓮宗特有の髭題目(ひげだいもく)だ。本来の髭題目は「法」以外の6文字の筆の端を髭のように伸ばして書き、法の光を受けて万物が真理の活動に入ることを表すとされている。
この鐔は小鐔だから他の5文字の髭は伸ばさなかったのであろうか。信家のデザイン感覚で、このように納めたのか、この時代は、そのように定型化されていなかったのであろうか。

2022/1/1
「正月は冥土の旅の一里塚」となる晩年だが、「生者必滅」は人類の定め。それまでをいかに生きるかだ。最近、「信家鐔集」の中村覚太夫(誤りで中村八太夫)に関する新しい資料を見つける。幕府の役人として河川関係の専門家の中村八太夫は、業務の余暇に、この鐔や多くのコレクションの信家鐔を愛玩していたのだ。

2022/3/4
「妙法」の女偏とさんずいを省いている。元は左右の木瓜輪がもっと幅広で、「妙法」と切られていたのかとも思ったが、右側の木瓜輪が、同じ大きさで「経」を大きく切っていることから判断すると違う。櫃孔を開けたから、「妙法」は「少去」でいいと判断したのだろうが、凄い発想である。信仰心より、デザイン性を重視したのだ。

2022/3/2
昨日、知人の葬儀がある。日蓮宗であり、僧侶の元、南無妙法蓮華経を唱和する。ロシアのウクライナ侵攻、私のような老体は役に立たないかもしれないが、日本にこのようなことがあれば立ち向かうつもりである。美術品は将来の為に残す手段を考えないといけないが。
後藤家は熱心な日蓮宗信者だ。信家も「南無妙法蓮華経」のお題目を彫ったものが多く、日蓮宗の信者だったのだろう(キリスト教関係も現存しており、往古はもっとキリシタン関係が多かった可能性もあるが)。

2022/2/28
この鐔の裏面の櫃孔の上部肩の部分に、粒状鉄骨が2つある。上の写真でも上記部分(小さい穴の右下)に色が少し白っぽい小さな○が見える。もう一つは櫃孔の州浜でへこんだ部分の横である。色が白っぽくなっている部分である。上の粒状鉄骨の方が光沢が強い。

2022/2/26
優れた美術品は、観る人の心を揺さぶる何かを持つが、この鐔では、よりわかりやすい文字によるメッセージだ。常に腰間にある短刀に付けられていたと思うが、生きる姿勢をシャキッとさせたと思う。

2022/2/24
そう、生者必滅なのだ。「人の命は何よりも大切」はそうなのだが、いずれ生者必滅。美術品は永く残り、その時々の人の目を楽しませ、心を豊かにする。災害時は人の命よりも美術品の方が大事なのではとの思いを持つ。これは間違っているのだろうか。

2022/2/22
良い鐔である。信家木瓜(もっこう)と総称される形だが、この木瓜形は魅力がある。茎孔(なかごあな)の形状に合わせて木瓜形を縦長にしているが、調和がとれている。そして「南無妙法蓮華経」の文字の毛彫が文字を超えて絵になっている。そして信仰として心の支えになっている。裏の「生滅者必」の諦観は、死をも恐れない勇猛心を奮い立たせる。

2021/9/2
この鐔で謎なのは、切羽台四隅に開けられた小さな孔だ。『中村覚太夫信家鐔集』の第21図に表に「生滅者必」、裏に「十」と「や」を切りつけた鐔が掲載されているが、この表側「生滅者必」に押形が丸く抜けた箇所が2つ見られる。「生」と「滅」の間と、「者」の右上横だ。こちらの方はきれいな○だ。ただし、裏の押形には抜けている箇所は無いから、孔として貫通はしておらず、穴として窪んでいるだけだと思う。この鐔が現存していて実見できれば確認できるのだが。
だから孔は「生者必滅」に関係する符号ではないかと思うのだが、よくわからない。
なお、腕抜き孔として大小の孔が2つ開けられている鐔は、同書にも図番号で4,40,41、43、47、49、76(小鐔)、91、104とある。76図は小鐔に2つの腕抜き孔だから、小鐔の時に、所蔵品のように小さい孔を開けるということではないことがわかる。
一方、小さい孔は、64図に切羽台の左下、信家銘の下に小さい孔が2つ開いているように見える。また92図は1つの小さな孔が切羽台左下にあるように見える。

2021/8/31
この小柄櫃孔は大きい。安土桃山時代には大きな小柄が使われていたのだと思う。私が、大小柄で実見したのは後藤顕乗のものだけだ。かように数は少ないが、それは、特に後藤の作品では後代によって仕立て直されたものも多いのではなかろうか。

2021/8/29
腹を切る時に、この鐔が付いた拵の短刀を使うのも一考に値する。

2021/8/27
裏の生者必滅の文字がある方だが、小柄櫃孔の上部で抜け孔の下部に、粒状鉄骨がある。同じく裏下部、「必」の前方の耳側にふくれ破れがある。

2021/8/25
この造形に、ちょうど収まるような髭題目の彫り。「経」の字は右側全部を使うから、大きな字にして、しかも「経」の糸偏の最終画を髭題目にして切羽台の形に即するように描いて、「南」の字と重ねる。実に巧みだ。「無」の鏨を深く入れたのも、意味あるように感じる。「無」の境地の強調か。

2021/8/23
この鐔はやや赤味を帯びているが、同じく所蔵の太字銘の信家は青黒い地鉄である。作者の違い(放れ銘信家と太字銘信家)なのか、製作時代の違い(放れ銘の方が古いか?)なのか、素材の鉄の違いなのか、焼き鈍しの温度(太字銘の方が高いか?)なのかはわからない。

2021/8/21
信家の造形感覚は見事だと思います。喧伝される信家木瓜と称される形の中でも出色のものだ(もちろん小鐔の中でだが)。

2021/8/19
題目の字の鏨の深さ。「無」と「経」の字が特に深い。これはお題目を唱える時の声の強弱に応じているのだろうか。また「経」の最後が髭題目として長く伸ばしているのは、唱える時に「きょう--」と長く伸ばすことを意味しているのだろうか。

2021/8/17
きちんとした造形、気合いを籠めた題目の彫り。題目と生者必滅の彫りに死の近さを感じる。時代の空気なのだろう。

2021/2/24
小鐔だが、「南無妙法蓮華経」の彫りを小鐔の大きさに合わせて小さくせずに、「妙法」の部首など欠画しても構わないという気持ちで彫った信家のセンスは凄いと思う。

2021/2/22
造形の名手。様々な木瓜型を造形しているが、この鐔も見事である。そして耳の打ち返し、切羽台が薄く、耳の側が厚くなる中低の造り込みは巧みである。

2021/2/19
信家は作家意識があった職人である。自分の思いを作品に込めようとしている。

2021/2/18
生者必滅なのだ。そして盛者必衰、また会者定離なのだ。

2021/2/17
先日、この鐔と同様のやや小さい鉄鐔を見せられた。ある本にも所載されている鐔だが、この鐔を所持しているからどうしても比較の眼で見てしまう。そして思う、やはりこの鐔の方が数格も上だと。
表の題目は、髭題目の彫り、配置など実に巧みである。

2020/11/25
死は早い・遅いの差はあっても必ず訪れるもの(生者必滅)であり、それを恐れずに武名を揚げ、後生は仏に任せる心境(南無妙法蓮華経)を表現したものであり、この鐔を身に付けた武士の気持ちに、我々も共感するのである。
所有している「戦争(折れ松葉)と平和(桜狩り)の図」鐔も、戦乱の無い穏やかな日々(桜狩りの図で象徴)も、直ぐに戦乱が始まり敗軍になるやも知れない(折れ松葉=折れた矢の図で象徴)という当時の武士の意識が、後の世の人々にも共感を与えたのであろう。
信家の作品は表裏の彫りで思想というか、古今の人間が共感する心情を表現している。(「戦争と平和図」鐔にも同種の記述をする)

2020/3/7
この鐔もそうだが、信家の彫りは戦国を生き抜いている人々の祈り、諦観などがある。所持の太字銘の信家を「戦争(折れ松葉)と平和(桜に日笠)」の寓意と見ているが、これも同様である。

2019/12/28
今朝、中村覚太夫『信家鐔集』を見たが、中には現代では是認されない銘のものも含まれている。題目を彫った鐔には38図があるが、この鐔と違って右廻りに題目を彫り、この鐔のように偏が欠けるような彫りではない。こちらは髭題目だからかもしれないが、字体も若干違う。斧が透かしてある。82図は裏に髭題目で左廻りで彫り、字の欠けはない。表には「地水火風空」の文字を彫る。97図は表に右廻りで髭題目で裏が「地水火風空」の文字である。
題目の文字を欠画を恐れずにデザイン的に収めたものは、この鐔である。

2019/12/26
昨夜、はじめて思ったのだが、この「南無妙法蓮華経」の文字は鐔の形を作り終えた後に彫ったのであろうか。それともあらかた形ができた鉄板に御題目を彫り、その後に形を整え、耳を軽く打ち返したりしたのであろうか。裏の「生滅者必」は後からだと思うが。

2019/12/25
この信家も裏の下部左側の耳に軽いフクレ破れが見られる。秋山久作氏の言う「鍛え割れ、切れ、フクレ破れのある信家には名品が多い」に該当するが、欠点には違いないが、古田織部の見出した美というか桃山時代の気分なのだろう。

2019/12/24
この鐔の耳の軽い打ち返しも感じのいいものだ。形というか全体が締まって見える。

2019/12/22
裏側の右上の櫃孔上部に粒状鉄骨が出ている。綺麗な鉄骨が一つ、やや不完全な鉄骨が2つ、そして粒状よりも細かい飛沫のような鉄骨が裏の茎孔下部周りに見られる。

2019/12/21
上の写真は、この鐔の魅力が出ていない。表の南無妙法蓮華経の彫りと地の仕立ては本当に魅力的である。撮り直す必要がある。形と彫りがマッチして見事。

2019/12/20
この鐔の木瓜形はいい。そして、耳に軽く打ち返しを付けて、切羽台にかけて中低にしている。地には鎚目の跡のようなものが残るが、切羽台の周りは平らかにして、そこに銘も入っている。裏も同様に仕立てている。また裏の櫃孔の外側には、放射状の鏨のようなものを打ち込み、中心からの光の筋のような感じもする。また裏の櫃孔上部には地に粒状鉄骨が三つほど出ている。

2019/1/1
この鐔の小柄櫃孔は形状は笄櫃だが幅は19.8ミリである。小鐔に対しての大きさだから堂々として大きい。力強い御題目の彫りだ。

2018/9/6
「南無妙法蓮華経」の文字の彫りは鏨が太く、立派である。「信家」の銘の彫りも深い鏨でためらい無く堂々と彫っているが、この時期は充実していたのだと思う。

2018/9/5
「信家は木瓜の形だけで真偽がわかる」との言があるが、一理ある。言葉にして説明しにくいのだが、絶妙の形である。この鐔では上下の開の部分は大きく、柔らかく出て、左右の開はそれほど出ずに、茎孔に合わせて長くしている。バランスもいいし、巧みな造形力だ。作鐔の過程で出来てしまうのだろう。

2018/9/4
日蓮宗(南無妙法蓮華経)が圧倒的に多いが、次はキリスト教に関する透かしだ。キリスト教関係の信家はもっと多かったのかもしれない。透かしがキリスト教とわかりにくいものだけが残ったと言うわけだ。

2018/9/2
関ヶ原の戦いが終わった頃に、江戸に「かぶき者」と名を馳せた大鳥(大鳥居とも伝わる)逸平は、自分の長大な刀の鞘に「いきすぎたりや二十三、はちまんひけはとるまい」、「二十五まで生き過ぎたりや一兵衛」と書いていたと伝わる。このように刀装に、自分の信条を書くのが流行った時代に、この鐔は生まれたのだ。関ヶ原の戦いが慶長5年(1600)、大鳥逸平が捕らえられ、処刑されたのが慶長17年(1612)年だから、この頃の作品だ。

2017/12/11
この「信家」という銘字の力強い鏨。自分の作品に対する自負は相当なものがあったのだろう。これに気圧されるところもある。

2017/12/10
「生滅者必(=生者必滅)」の文字だが、若い内は勇敢に突っ込む時におのれを奮い立たせる言葉だが、歳を取ってくると、現実を突きつけられる言葉になる。仕方のないことだが。

2017/12/9
書は芸術だが、この「南無妙法蓮華経」は美しい。太く力を入れた鏨線、それほど力を入れない鏨線、ゆっくりと鏨を入れた線、逆に早く鏨を入れた線、それらが文字であるが、鐔全体を覆う線による文様になっている。(3/8にも同様な感想を述べている)

2017/3/10
信家鐔は武骨なようだが、洗練されていると思う。全ての信家鐔に当てはまる評ではないかもしれないが、その思いを強く抱く。形も木瓜形に独創があっていい感じだ。地の造り込みも切羽台にかけて薄くなる変化も自然だ。デザインとなる文字も生き生きして躍動的。裏の文字は、あくまで文字だが。

2017/3/8
「南無妙法蓮華経」の文字は字ではなく、絵画になっている。小さな鐔一面に描いている。裏の「生滅者必」は文字だが。

2016/11/4
3次元の作品と書いたが、それは切羽台部分の地造りが低くなり、耳にかけて厚くなり、さらに耳を少し打ち返している地鉄の造り込みが立体的なことと、題目の文字の彫りが深く、やや幅広めのタガネで凹になっていること、銘は題目よりは細いタガネだが、深く彫っており、手指で彫りの凹部が意識できることから述べている。板鐔とは違う感じを述べた。

2016/11/2
古刀匠や古甲冑師鐔の大きな鐔を触ってきたから、この鐔は特に小さく感じる。信家の良さの一つは形の良さである。鐔を2次元の作品としてでなく、3次元の作品と意識しているような造形力がある。

2016/10/31
この信家の小鐔は、心に浸みる。南無妙法蓮華経の髭題目の毛彫りは深く、強く堂々と大胆に彫っている。銘も題目の毛彫りよりは細いタガネで、強く鮮明に彫っている。作者の自信が溢れている。
裏には慣れない漢字でヨタヨタしているが、上部から生滅者必と彫る。すなわち生者必滅だ。
「盛者必衰 会者定離 生者必滅」が、この世の中だ。

2016/7/3
この鐔の櫃孔はうぶだと思う。小柄櫃だが、笄櫃のように州浜形である。そして大きい孔である。小柄、笄櫃は後開けも多いから断言はできないが、『信家鐔集』所載の鐔から、小柄櫃なのに州浜形のは10、12、13、15、19、25、29、35、36、39、48、54、62、66、70(小鐔)、80(小鐔)、82、85、86、87、88、89、90、95,96、97、98(140)、99、100、102、104、107,109、110、111、112、113、117、127、129、130、132、137の各図と多い。
銘のある方が裏と考えると、笄櫃で州浜となるが、図の調子などを観ると、銘は表であろう。

また、この鐔のような大きな櫃孔も結構、存在する。どういうことなのだろうか?

2016/7/1
中村覚太夫の『信家鐔集』の第21図に、放れ銘で長丸形に生者必滅を彫った鐔がある。裏は「十」「や」の字が上と下にある。「生」は上、「滅」は左側、「者」は下、「必」は右側に彫られている。
この字体と所蔵品は同じである。「生」の真ん中の横線は縦棒に対して、突き抜けずに右と左に線を分けている。「者」は上部と下部でずれている。
銘字も判別しにくい所もあるが、「信」の「口」の切り方などは同一だ。
特に興味深いのは、この大きな鐔も「者」の右肩に丸い小孔が開けられるように観られるところである。また「滅」の右にも孔らしきがある(共に裏の押形には観られないので、孔が貫通しておらず、打ち込みで凹んでいるだけの可能性もある)。
私の所蔵品は木瓜形の食い込み部分の四隅に丸い孔が開いている。ここに猪目(ハート形)を彫ろうとしたとの説もあるが、21図の鐔の孔を観ると、生者必滅と関係のある記号(語弊があるが)なのかもしれないと思う。不思議である。また裏の文字「十」「や」は何だろう。

2016/6/28
「生者必滅」(しょうじゃひつめつ)はまさにこの通り。関連する四字熟語には「盛者必衰」(じょうしゃひっすい)や「会者定離」(えしゃじょうり)があるが、うまく四字で表すものだ。もっとも、この鐔は上から「生滅者必」(しょう、めっするはひつなり)と切っている。表の髭題目と違って、たどたどしく彫っているが、戦国を生きた者が共感し、自戒の念を籠めたのであろう。

2016/6/26
小鐔だが、良い形だ。木瓜形の鐔は、後世になると少なくなるが、桃山時代までは鐔の形状が自由で、伸び伸びしている。埋忠明寿も、金家も彦三も様々な形状がある。耳の打ち返しも、適当でいい感じ。

2016/6/25
小鐔だが、丁寧に造られていると感じる信家だ。これまで南無妙法蓮華経の題目は毛彫りではないぞ。毛彫りのような細いものではなく、堂々と深く、大きく彫っている。鑑賞記の4章でも記したが、リズム感を持って、加えて美術的なデザイン感覚も加えて彫って魅力的である。銘字まで、その一部のごとく堂々としている。
 

古刀匠:二つ角透かし斬撃痕

 
護拳の誉れ傷のある鐔」刀和395号、令和4年11月
裏面の右側に縦に一条の斬撃痕
2024/12/9
大きな鐔で、縦が97.6㎜、横は99.0㎜もある。だから箱も特別に大きい。この大きさも一つの要素と思うが、独特の存在感がある。

2024/12/5
中心孔に責め鏨の跡が無いことから、色々な刀に何度も使われたということは無かったと考えられる。雑兵の差し料に使われた鐔だと思うが、『打刀拵』(小笠原信夫著)に所載の名のある武将の天正拵、桃山拵にも、この手の古刀匠鐔が付けられている。

2024/12/1
古い時代の鐔には、何とも言えない寂寥感がある。

2024/11/27
刀和で発表した拙論を、ここにリンクしていなかったから、リンクしました。

2024/4/6
この鐔は切羽台の形状に地鉄が少し荒れており、実際に拵として使われていたことがわかるが、茎孔やその周りに責金はもちろん責鏨は入っていない。生ぶな状態で残されている。すなわち、この鐔を何度も拵に使用しなかったと考えられる。そうだと思う。時代遅れのファッションになったのだ。ここが透鐔とは違うところだ。

2024/4/2
世界中で家紋というものがあるのは、日本と西洋であると聞いたことがある。西洋では、もっと複雑な文様で、しかも貴族だけのものだ。その点、日本は庶民に至るまで紋を持ち、その文様は簡素なデザインである。日本人は不思議な民族だと思う。

2024/3/29
この鐔を観ていると、楕円、三角、四角の図形が右から徐々に大きくなっているのに気づく。もちろん櫃孔、茎孔、それに文様の透かしなのだが、幾何学模様の面白さだ。

2024/3/25
この家紋は、現在のところ誰の家紋かは不明である。他書で1枚、同じ家紋透かしを見たことがある。縦でなく横のものもある。いずれにしても、当該家の郎党に支給した刀に付けたものだろう。

2024/3/21
こういう鐔は工芸品というようりも民芸品(庶民の実用品の中で芸術的価値があるもの)のジャンルに入れるものだと思う。民芸運動の柳宗悦と親交があった谷川徹三もこのような鐔を愛したのだろう。素朴な魅力だ。

2023/6/12
この鐔の透かしは、櫃孔を除くと「二つ角」だけだが、透かしの技量は高い。直線は整っているし、角が絡み合った箇所の線も丁寧・正確である。このような文様は正確でないと気分が悪い。

2023/6/10
この櫃孔は生ぶのものだと思う。「手元に置いての鑑賞」で取り上げた中に、よく似た櫃孔、形状の鐔をアップしてあるので参考にして欲しい。櫃孔の形状は時代を物語るかと思っていたが、流派(工房)の特色とも思うようになった。

2023/6/8
去年の7/9に、この鐔のことを論じようと書いたが、ご承知のように「刀和」令和4年11月号に「護拳の誉れ傷のある鐔」として発表した。この鐔は誉れ傷のこともさることながら、古刀匠鐔としても味わいの深いものなのである。地鉄は所々朽ちているが、朽ちていない箇所は深く輝く黒錆が魅力的で、いかにも堅牢な感じがする。
ちなみに巷(ちまた)で朽ち込みの少ない古刀匠。古甲冑師鐔を観るが、これらの中には現代製があることに留意して欲しい。昔、現代刀匠のお一人から、「古鐔と変わらないようなものが出来たのです。もちろん銘を入れたのですが、銘を消されて悪用される懸念もあり、以降は製作してません」と言われたことがあった。その時は実物を拝見しなかったので、本当に古作と紛れるようなものが出来たのだろうかと思ったのだが、現代製が出回っていることも確からしい。協会の認定書に「古刀匠」ではなく「刀匠」もあるそうだが、協会は協会で苦慮しているのだろう。(江戸時代は多様な透かし鐔が出回っており、板鐔に小透かしの鐔など需要がごく僅かと思う。だから刀匠鐔などごく希だろう)

2022/7/9
今度、頼まれている「刀和」の原稿に、この鐔のことを論じようと思う。存在感のある鐔である。この存在感は大きさと鉄味と透かし文様の彫りと位置である。

2022/7/6
10㎝弱と大きいから、桐箱も大きい。桐箱について、うるさく言う人は少なくなったが、昔の良い桐箱の細工は、蓋がスカスカではなく、軽い蓋の重みで、スーと収まるような密なものだった。桑縁は高級そうに見えるが、下手な細工をごまかし、装飾的な付加価値を付けるものだ。桐の柾目が細かく一枚板という箱は、私は観ていないが、柾目が細かいといいものだ。

2022/7/4
茎孔も、責鏨も入れておらず、生ぶのままである。一度の戦いで、命拾いしたから、以降は使わなかったのであろう。

2022/7/2
縦二つ角の陰透かしは、自然に立体感も出る文様だと気が付く。面白いものだ。ただ特殊な文様であり、下に書いたような事情で、この紋を自家の紋にしたか、軍旗にした武将からの注文作であろう。
ただ、この手の大きさ、厚さ、櫃孔の形状の古甲冑師鐔はあり、一つの工房だったのだと思う。

2022/6/30
以前にも書いた(2020/1/12)が、この縦二つ角を紋所として武士の郎党が所持したのか、軍旗にしていた武士団の刀に付けられて戦場を往来したのであろう。ある戦場で刀を振るっての戦いになった時、相手の渾身の一撃が襲う。偶然にこの鐔で受けて助かる。それがこの鐔の裏にある一条の斬擊痕である。助かった武士は命冥加に感謝し、この鐔を、出陣時に武運長久を祈った神社にお礼の金品と一緒に奉納した。

2022/6/28
武器を構成する一つなのだが、民芸的要素が強い。すなわち①実用性(無駄のないデザイン、堅牢性、機能性、戦乱相次ぐ時代の生活に密着)、②民衆性(作者名はいれない、造る人も使う人も普通の人、安価なもの)、③手仕事(昔はそもそも機械はないから当然であるが)を備えている。

2021/10/7
古刀匠鐔は板鐔に簡素な透かしなので、巷(ちまた)で見かけるものの中には、「ひよわな感じ」がするものがあるが、この鐔は大きいこと(縦97.6㎜、横は99.0㎜)と、ある程度の厚さ(3.8㎜)があることもあるが、どっしりとした逞しさを感じる鐔である。透かしが堂々としている点も一因と思う。命のやりとりをする時の実用の道具であり、このようなものが本当ではないか。

2021/10/5
この二つ角(縦違い角)の紋の透かしは上手である。実にきちんとした透かしで、切り立て部分は狂いの無い垂直で、重ねっている部分の細い透かしの線の細さも丁度良い。全体の透かしの大きさも収まりがいい。

2021/10/3
幕末に堅物試しという荒試しが行われる。水戸藩や信州松代藩などの試しが今に伝わっているが、各地で行われたのだろう。その時に古鐔なども試しにかけられることがあった。この鐔も、そういう機会に試したものならば、截断(せつだん)されていないから、何度も試されたはずである。一条だけの斬撃痕では済まないはずである。だからこの斬撃痕は、そのような荒試しで生じたのではなく、実戦の中で生じたと考えられる。

2021/10/1
朽ちこみも多いが、良い地鉄である。幾星霜を経た古刀匠と分類される鐔の良さだ。室町期というよりも、戦国乱世の鐔であろう。裏の一条の斬戟痕に武勲が偲ばれる。敵の一撃を、この鐔で受け止める。傷付いた鐔であり、江戸の太平の世では時代遅れのファッションアイテムであり、堅物試しにかけても良かったのだが、先祖の武功の証で、命を救ってくれた鐔なのだ。大事に保管してきたのだろう。あるいは神社に奉納されて、そこで伝わったのかもしれない。

2020/1/12
法隆寺西円堂の遺品における鐔の中に、同じ図柄の鐔を見た記憶がある。「二つ角」を紋所、あるいは旗印にした武士が使い、郎等用に何枚も求めたものだろう。戦国時代は侍は自分の領地に住み、戦があると領地石高に応じた軍役として、自分も含めて馬乗りが何騎、それに馬丁、長鑓を持った歩兵を何人、鉄砲を持った銃卒を何人と連れて参陣する。それら自分の従者には自家の武器を持たすのである。

2020/1/11
透かしの大きさは、製作者は適当に作ったのかもしれないが、ちょうど良い感じである。鑑賞記に同じ工房(同系統の工房)で製作したと思われる鐔を2枚紹介しているが、これらに施された透かしも大きめである。

2020/1/10
古甲冑師鐔では、切羽台に残る朽ち跡から切羽台の長さを計測して40ミリと確認したが、同様にこの鐔でも計測した。裏の朽ち込み跡の方が鮮明であり、これだと44ミリ程度であった。実際に装着されていた切羽の長さであり、透かし鐔の切羽台の長さはこの長さより大きいと思うが、古萩鐔「枝菊透かし」(44.0ミリ)と同程度で、室町古鐔「車透かし」(47.8ミリ)、金山「山道文透かし」(46.0ミリ)よりは短いが、長い方である。

2020/1/8
「用の美」という民芸的な美である。朽ち込み跡、錆の侵食跡などが実用に供されてきた経緯を物語る。この櫃孔は生ぶのものと思うが小さい。時代は室町後期から安土桃山前期(=戦国時代)と思うが、時代判定を櫃孔からというのも決め手はない。

2018/12/31
この鐔を観ると、美的な感動とは別の、用の道具として身に付ける人の命を守ってきたという感慨が湧き上がってくる。命のやりとりをする戦いが日常茶飯事だった時代の武具なのだ。美術だけが心を動かすわけではないと思う。

2018/12/30
この鐔の櫃孔の長さは縦が18.6ミリ、横が9ミリ程度と小さめである。これまで古い時代の櫃孔は「縦に細長く(大きめ)、幅が狭め」と書いてきた。例えば古甲冑師「唐花透かし」の埋められた櫃孔は縦幅は22.2ミリで横幅は9.7ミリである。同様に京透かし「勝軍草透かし」の小柄櫃の内径を測ると縦幅は21.4ミリ、縦幅は9.9ミリである。
この古刀匠の櫃孔は生ぶだと考えているのであるが、後開けであろうか、あるいは古い時代でも小さいのがあるのだろうか、または製作地の地域差によるのだろうか。

2016/10/30
私の所有する古刀匠鐔も、古甲冑師鐔の2枚も、陰透かしの文様が大きいことを改めて認識する。もちろん、大きいといっても限度はあるが、大きな文様を堂々とポツンと透かしている。これは、好みかもしれないが、大きめの透かしは屈託がなくて良いものだ。
今回、改めて古刀匠鐔、古甲冑師鐔を寝床に持ち込んで観たが、新しい認識を得た。やはり、寝床での鉄鐔愛玩は楽しい。

2016/10/29
この鐔も、昔は錆と朽ち込み跡だらけと思っていたが、意外と光沢のある地鉄もあり、また、もう少しボテついていると思っていたが、尋常な薄さでスッキリとした、いかにも古刀匠鐔らしいものだ。透かしは丁寧で、稚拙なものではない。大きい鐔だが、良い鐔である。ただ、このような朽ち込みがあれば、江戸時代の武士は差料には用いなかっただろう。戦場往来の時代に本来の役割は終えているだろう。

2016/10/28
この鐔の斬撃痕は強烈だ。敵が思い切り打ち込んできた刀を、この鐔でがっちり受けたのである。半端な力ではない。薄い線跡として斬撃の跡が残っている鐔はたまに見るが、このように斬撃の跡が食い込んで、周りの鉄が盛り上がっているようなものは無い。持ち主の命を救った縁起の良い鐔である。
斬撃痕はキズである。しかも大きなキズである。美観上使用に耐えないとして捨てられるのだろうが武具のこのようなキズは誉れ傷である。この鐔は、持ち主の命を守ったから、大事に残されたのであろう。あるいは神社にでも奉納したのかもしれない。
このように持ち主(持ち主の先祖)にとって特別な来歴がなければ、新々刀期に荒試し用として、何度も斬撃に供して廃物としたと思う。
刀でも、大名家伝来で、いつぞやの婚礼の時の引き出物として伝わったなどの来歴を好む愛好家も多い。この鐔などは、そういう箔が付く来歴では無いが、無名の持ち主だが、その命を守ったに違いないという来歴が想像できるものである。夢があるではないか。

2016/10/27
古甲冑師鐔と同様に、民芸的な鐔の古刀匠鐔を寝床に持ち込む。実は昨日、ある所で昔笹野大行氏から「100万で譲って欲しい」と当時の持ち主に言われたという古刀匠鐔を拝見した。ある本に掲載されている鐔である。いい古刀匠鐔であるが、今はそんな値段はとてもだせないと現所有の方と「うーん」と唸る。昔は笹野氏のような大コレクターがいたから鉄鐔も全体的に高かった。刀剣柴田の故青山氏も「いいのが出ると笹野先生が買っていく」と言っていたものだ。私も含めて、今のコレクターのレベルが下がっているのかもしれない。
それはさておき、改めて、私の古刀匠鐔を見ると、その鐔よりは時代は下がるものだが、それなりに良いものだ。
 

古甲冑師:唐花透かし

 
2024/12/17


2024/12/13
打ち返しの耳の幅、太さも均一でスッキリしており、丁寧に造ったものだ。

2024/4/18
この手の鐔は同じようなものが多いですが、やはり比較すると違います。この鐔は購入するとき、前のコレクターが集めていた20枚以上の同種鐔から選びましたが、何が違うと言われても、「観ればわかる」「比較すればわかる」なのだが、それでは話が進まない。まず地鉄は丁寧に鍛えて加工している。そして耳の打ち返しが丁寧で上手である。地鉄については深みというか味があると言うか。また抽象的な話になるが。

2024/4/14
打ち返しの耳が魅力である。また鉄味もいい。テカりと称せられる艶は無いが、奥深い黒錆である。

2024/4/10
所蔵の古刀匠鐔とは違った趣きがある。耳があることにもよるが、より丁寧に製作している。また薄さも薄い。ただし透かしは無造作であり、所蔵の古刀匠の方が丁寧な気もする。

2023/8/8
この鐔の透かしとよく似た作品は『透し鐔』(小窪、笹野、益本、柴田 共著)の137ページの「花文透し鐔」である。花文の形状、また花弁3枚で表現するところなど同様である。写真が暗いが耳の仕立てもよく似ている。地鉄はこの鐔よりも槌目が目立つ感じだが、同じ工房・作者の作品だろう。

2023/8/6
鉄鐔は、製作した作者の技術だけでなく、製作当時からの長い年月が鉄錆の味わいを深めているものだと思う。

2023/8/4
昔の刀屋さんや数寄者には、鐔を指(爪のある方)で弾(はじ)いて、その音の善し悪しで、鐔が焼けているかとか、地鉄の良さを判断していた。今は人様の鐔を弾くような無礼なことをする人もいないだろうし、そもそも爪で弾いて、その良さ等がわかるのかも疑問だが、若い、初心の頃は、その音の善し悪しを聞き分けるこつを聞いて、自分も試したものである。音は鐔の厚さや、透かしの有無等でも変わるはずだが、今から考えるとおかしな時代だった。それが昭和だ。

2023/8/2
この鐔は鑑賞記にも記したが、刀剣柴田で青山氏が仕入れたばかりの数十枚の古甲冑師、古刀匠鐔の中から選んだものであり、魅力があり、質の高いものだ。魅力は耳の仕立てと落ち着いた鉄味であったと改めて思う。透かしのデザイン、透かしの技法は次である。

2023/7/31
打ち返しの耳、均一な幅、高さで、これはこれで技術の修練が必要だったと思う。

2023/7/29
地鉄は艶があるわけではないが、黒錆は落ち着いていて深味があり、、鉄の一つの側面から生じる魅力がある。

2022/6/10
打ち返しの耳の魅力。耳が特色を持つのは在銘の作者では信家、明寿、金家、彦三の桃山時代だが、この手の古甲冑師は、その前代と考えるのが妥当なのだろうか。あるいは同時代の桃山時代とみるべきであろうか。

2022/6/8
古甲冑師鐔や古刀匠鐔は、保存状態が悪く、一部が荒れているのが通常である。これは古い為というよりは、江戸時代になると時代遅れのファッションアイテムとなって、使用されずに保管されてきた為と考えられる。だいたい裏面の方がより以上に荒れていることが多い。この鐔も表は右上の透かし上部、切羽台周り、右下部が荒れている。裏面は全体に荒れていて、荒れていないのは切羽台左の透かし下部の辺りである。
荒れが枯淡の味、侘び、寂びを醸し出している面もあるが。

2022/6/6
唐花とは中国の唐の時代に作られた架空の花文様で、日本には奈良・平安時代に伝来したと言う。写真では、この鐔の艶が出てないが、感じの良い艶が出ていて、古萩鐔の一部箇所の鉄味と似ているところもある。

2022/6/4
この手の古甲冑師鐔に、それほど熱中していないから、多くの古甲冑師鐔を観ていないが、同一工人(工房)のものと思われるものがあり、それぞれの工人(工房)の技量の差はわかる。この欄の2018/12/22にも記したが、この鐔の作者は上手(じょうて)の工人だと思う。

2021/10/13
上に掲載の写真だと、何もわからないが、この鐔の表面の上部左側に、キラキラした細かい粒が光線の当て方によって見える。この鑑賞記でもたびたび書いて粉状鉄骨と言っているものである。鉄は不思議で、魅力的なものだ。

2021/10/11
大らかな感じがなんとも言えない鐔である。これまで余韻という言葉を使って感想を書いたこともあるが、それにつながる感覚であろうか。

2021/10/9
耳の打ち返しの幅、高さが整っていて、また鐔の表面を平滑に仕上げている点が、この鐔工の技術の見せ所であろう。透かしはそれほど丁寧には仕上げていない。実用に関する所は丁寧に、装飾に関する点は適当にだ。

2021/5/16
今朝は寝床に持ち込まずに、朝、鐔箱を開けた時の印象であるが、スッキリ感がある。古甲冑師鐔は比較的陰の透かしを賑やかに施しているものが多いが、この鐔は簡素である。それも相俟っての印象だが、このスッキリ感は作者の力だと思う。

2021/5/14
江戸時代になって、差料にこのような鐔を付けていれば、時代遅れのファッション・センスだとして笑われると思う。だから①自家の先祖が用いて武功を立てた刀に付いていて、そのままになっていたものか、②いざという時に家来に持たせる為に用意していた刀などに付けているものか、あるいは③先祖が使った鐔の1枚として鐔箱に保管しているだけだろう。裏の錆び、朽ち込みが表よりも多いから③のように使わないで保管していたものかもしれない。

2021/5/12
古甲冑師鐔の中でも、この鐔が感じが良くて、魅力的なのだが、その要因は何なのであろうか。技術的には平滑な地の仕立てと巧みな耳の仕立てだ。透かしは花心部分のズレがあるなど、それほど丁寧ではない。3枚だけの花弁を彫り、他は彫らなかったというデザインに余韻を持たせる天性のセンスはあると思う。透かしの大きさも丁度良い。地鉄は何度か書いているが、どうということは無い中に落ち着いた渋さがある。

2021/5/10
照り輝いている地鉄ではないが、鍛えられた鉄地が平滑に加工されたことによる奥深い輝きもあり、感じの良い地鉄である。以前にも書いたが、粉状鉄骨と私が名付けている細かい突起があり、輝きに調味料のような風情を出している。所々の朽ち込みも感じがいいが、これは所有者の欲目であろうか。

2021/5/8
意図的に花弁を3つにして透かしたと判断するが、そうであれば家紋ではなく、花弁そのものを透かしたわけである。武器への意匠に、このような花弁を透かした工人と、この鐔を差料にした武人の花弁に託した想いはどんなものだったのであろうか。

2020/1/3
この鐔には切羽台に該当する朽ち込みが残っている。この跡から切羽台の長さを計測すると40ミリであった。これは実際に装着されていた縁の長さと考えられる。透かし鐔の切羽台の長さは縁の長さより大きいと思うが、室町古鐔「車透かし」(47.8ミリ)、金山「山道文透かし」(46.0ミリ)、古萩鐔「枝菊透かし」(44.0ミリ)、尾張透かし鐔「桐・三蓋菱透かし」(43.0ミリ)、京透かし鐔「勝軍草透かし」(42.0ミリ)、金山鐔「松皮菱透かし」(41.6ミリ)と言う順である。

2020/1/1
この鐔は寝床でさすっていると、不思議なことに微かな音がする。擦る時の音である。指の腹が微かな朽ち込みに触っての音なのか、薄い鐔ゆえの音なのかがわからない。他の鎚目(朽ち込みではないが)の鐔や、薄い鐔ではそのような音は出ない。きらいな音ではない。

2019/12/31
2019/5/21にも書いたが、表の上部左側に粒状鉄骨よりも更に細かい粒々の光が見える。”粉状鉄骨”は私が今、作成した単語だが、そんな感じのものだ。魅力的である。地が朽ち込んで荒れているところでは目立たないが、やはり存在している。

2019/12/30
この鐔は古色が自然である。いつ頃作成されたかはわからないが、室町・戦国時代に刀に付けられて実用に供され、平和な時代になってからは流行遅れの鐔となって放置されてきたのだろう。茎孔の周囲にも責め鏨は打たれておらず、茎孔に責金の跡もない。実用時の跡が切羽台廻りの朽ち込み跡であり、打ち返し耳の一部の朽ち込みだ。平和な時代に放置された証拠が裏の方が朽ち込みが多いことに表されている。

2019/12/29
鈍い光沢だが、照りもある地鉄である。古色(錆、荒れ)がついた下部右側の地鉄、切羽台廻りの朽ち込みの跡、所々の朽ち込み跡など、実に自然に時代を感じさせる良い風情の鐔である。裏はもっと荒れが強いが、こういう風情が古甲冑師鐔だ。この鐔は鑑賞記にも書いたが、購入時に多くの古甲冑師鐔の中から選んだものだけに、良いものであると自負している。

2019/5/23
古い時代の鐔の分類名称は疑問を感じているが、「古甲冑師」として甲冑製作の職人が副業として造った鐔というのも疑問である。鐔は鐔で商品になっていたと思う。そして専門の鐔工がいたはずである。需要は甲冑よりも鐔の方が多いわけだから。
しかし、鐔の分類名称としては、代わる名称も思いつかないから、是認せざるを得ない。尾張という名称よりもマシである。刀装具全般に対して、現代の斯界の識者が集まって、分類名称を見直してもらいたい。茶道具も従来の数寄者の分類名称から、美術館での展示(世界での展示)に耐える分類名称に代わりつつある。

2019/5/21
この鐔の地鉄には、細かい粒で光が強いものが散在している。特に表側の上部にみられる。粒状鉄骨の更に小さいものだ。地を平らにする時に叩いたムラとも思っていたが、違うようだ。裏面にもあるが、こちら側は朽ち込みがあり目立たない。それにしても、地の薄く平滑な面はどうして作製したのだろうか。

2019/5/20
打ち返しの耳は右上部が少し朽ちて欠損しているが、丁寧で上手である。耳の幅、高さにムラはない。透かしが花弁の大きさ、形状、花芯の形状に無造作なところがあるのに対して、正確である。こういうところも何なのかと感じる。実用に関係する部分はキチンとし、遊びになる部分はラフにということだろうか。

2019/5/19
この手の古甲冑師鐔には切羽台と言えるものは無いが、この鐔には切羽台に相当する朽ち込みがある。この自然に朽ち込んだ跡がなかなかに風情がある。鐔にメリハリを附けている。時代の風雪が味付けをしてくれている。

2018/12/24
昨日、埋められた櫃孔は「縦に細長く(大きめ)、幅が狭め」と書いたが、実測すると縦幅は22.2ミリで横幅は9.7ミリである。同様に「縦に細長く(大きめ)、幅が狭め」の所蔵の京透かし「勝軍草透かし」の小柄櫃の内径を測ると縦幅は21.4ミリ、縦幅は9.9ミリであり、形状もよく似ている。なお形状について、このページの京透かしの鑑賞記2018.9.26に「櫃孔そのものの形状(細長く、やや平たく抑え、堂々とし、切羽台と接するところは円く弧を描いて丁寧)」と書いている。
だから、生ぶの小柄櫃とすれば京透かしと同時代の製作だし、後開けであれば、京透かしより前の時代に造られ、京透かしと同時代に小柄櫃を開けられたことになる。

2018/12/23
この鐔には小柄櫃が開けられ、それを鉛で埋めている。小柄櫃は後開けだと思うが、この小柄櫃の形状は縦に細長く(大きめ)、幅が狭めである。これはかなり時代が上がる形状だと考える。

2018/12/22
昨日、『金工事典』(若山泡沫著)の内側カバーの裏に古甲冑師鐔の写真があるのに気が付いた(表は石黒政常の鷹目貫)。この鐔は有名なもので『透し鐔』(小窪、益本、笹野、柴田共著137ページ)、『鐔鑑賞事典』上巻83ページ、『刀装小道具講座』第1巻図版9ページにも掲載され、私の鑑賞記(3章)にも転載させていただいているが、この鐔の左側の3枚花弁に欠落して表現している唐花透かしと同一作者のものだと思うようになった。花弁の不整形な調子など同じだ。鑑賞記では、こちらの鐔の方が賑やかであり、私の方が古いのではと書いたが、同作者、同一工房の作品で、このように名品を製作している鐔工であると考えている。

2018/12/21
意図的に欠ける花弁にしたことは、後の2弁、あるいは1弁があると想像した時の収まりの悪さから理解できる。2弁であれば小さい花弁、1弁ならば異常に大きい花弁にしないと収まらない。
彫られた花弁の形も整っていない。花心部分も偏りがある。このように透かしは無造作だが、耳の仕立ては実に丁寧である。印象を引き締めている。

2018/12/20
唐花の花弁を省略することで花の儚さのような風情が出ている。全ての花弁を彫ると切羽台にかかるから省略した可能性もあるが、やはり意図的に欠ける花弁にしたのだろう。後藤家の草花の彫物における意図的な虫食いが存在しているように、「全きは欠けのはじめなり」の思想にも影響されていたのだろうか。

2018/12/19
この鐔を拝見すると静かな気持ちになる。

2016/10/23
民芸とは、柳宗悦が唱えた言葉で、無名の工人が製作した日常雑器に「用の美」を見出したものである。識者によって「用の美」があるとされると、皮肉なことに安価な日常雑器が高価になる。無銘の簡単な武具(鐔、小刀など)も範疇に入るだろう。
古甲冑師鐔は、護拳の武具:鐔の機能から来た”丈夫さ・安価から用いられた鉄という素材”、”拳を守る大きさと腰に差した時に邪魔にならない大きさ”、”強度を保ちながらも必要以上に重くならない為の薄さ、補強する耳の打ち返し”、”赤錆を防ぐ為の黒錆”、そこに”ちょっとした飾りになる透かし模様”で生まれたわけだ。加えて”歳月によって使い込まれ、朽ちてきた跡”が何かを語る。
そして後世の我々は、そこに素朴な美を発見する。

2016/10/22
同じ古甲冑師鐔の唐花透かしも引っ張り出して、観てみる。結び雁金・丁字透かしとは地鉄が違う。こちらは艶消しをしたような地鉄だが独特の輝きがある。地鉄の照りは結び雁金の方があるが、結び雁金・丁字透かし鐔には縦の薄い鑢の線が見える。篠鑢と言うほどに作為的なものではなく、地鉄加工の途中のような鑢である。
また、耳の状況などは、唐花透かしの鐔の方が丁寧な感じである。厚さはほとんど同じである。大きさは雁金の方が大きい。この手の鐔は、各地で室町から桃山にかけての各時代ごとに作られたものであろう。
古甲冑師鐔は民芸を愛でるような感覚、骨董いじり的感覚に気が付いたが正解のような気がしてきた。
 

古萩:枝菊透かし

 
2024/11/23
不思議な名鐔である。図柄というかデザインが大きい感じを醸し出す。緻密かというとラフなところもある。陰の彫と陽の彫の絶妙なバランス。

2024/11/19
この手の枝菊を巧みに彫った鐔工には、他にどのような図柄があるのだろうか。不思議である。

2024/11/15
形そのものも大きいのだが、印象として堂々としている。陰の彫と陽の彫とのバランスの良さ、陽の彫の葉が上に向かって素直に伸びている。陽の彫の花はごちゃごちゃしているが、陰の彫の花は伸びやかにスッキリしている。切羽台の形状、櫃孔の形状も整っている。

2024/11/11
近くの神社で菊花展を開催している。今が季節である。古萩鐔の作者は、このような菊花の彫り以外の彫り物は、どういうものを彫ったのであろうか。この手の作風に共通する要素を持つ透鐔は見ない。どういうことなのであろうか。

2024/3/5
この鐔の法量は縦82.5㎜×横82.5㎜の正丸形であり、耳厚4.2㎜で切羽台の厚さもほぼ同様である。古萩と称される鐔には象嵌の跡が残るものもあると言うが(『透鐔』進藤武夫著の164頁)、この鐔には痕跡は見当たらない(もっとも当初に存在したかは不明である)

2024/3/1
菊の彫りは蝦夷拵にもあるし、古くから愛された模様である。古美濃と分類される刀装具にも多い。日本人の感性に合致する植物の一つだったのだろう。枝葉の陽の彫りが巧である。また枝葉の陰の彫りは、他の枝菊透かし鐔よりも精密に彫っている。

2024/2/26
この古萩の鐔は、他の同種鐔よりもスケールが大きい感じがする。作者の力なのであろう。

2024/2/22
華やかで洗練されていると同時に、野趣がある。

2024/2/18
この鐔の作者は、この手の枝菊以外にどのようなデザインの鐔を造ったのだろうか。この図柄だけが突出している。陰の透かし(枠で図柄を表現)と陽の透かし(形彫りで図柄を表現)を交えて、一つの絵にしている。

2023/6/23
陰の彫り、花も葉も、また葉の陽の彫りは実に巧みなのだが、花の陽の彫りの一部は、手擦れしたように、またバリが残っているように彫っている。丁寧に彫ろうとすれば、できた人なのに何だろうと思う。強度を増すためか、何なのだろうと思う。不思議な工人である。

2023/6/21
この手の図柄だけで、古鐔における一ジャンルを作り上げているのは、このデザイン、陰陽の彫りが混じる斬新さに世人が感心しているからなのだ。

2023/6/19
「陰の彫り」と、「陽の彫り」と書いたが、「陽の彫り」は「形そのものを彫り上げて表現」というよりは、形に凹凸を入れて、よりリアルに彫っているのだ。その「陽の彫り」だが、葉は実に巧だが、花の方は重なった箇所の彫りは、それほど写実的ではないのが不思議である。

2023/6/16
スケールの大きさを感じさせる鐔である。物理的にも大きいが、伸び伸び感がある。

2023/6/14
「陰(形造る線で物を表現)の透かし」と「陽(形そのものを彫り上げて表現)の透かし」の対比が見事であり、装飾性を高めている。

2022/6/2
美術品は、わからないけど「いい」というものがある。この鐔も、そのような一枚である。私如きに”わかる”と思われるような美術品のジャンルは底が浅いものである。鉄鐔は面白く、奥深い。

2022/5/31
こういう図柄を観ていると、人間は戦うこと、争うことより、穏やかに、和む生活をしたい動物なのだとの思いを強くする。

2022/5/29
菊花の陽の彫(線で形を透かし彫ではなく、面で彫った彫)は、鋳物でバリが残ったような感じもする。しかし葉の陽は、そんな感じはしない。もちろん、菊花や葉の陰の彫(線で形状を彫った透かし彫)や、櫃孔、切羽台などは、そんな感じではない。不思議な鐔である。

2022/5/27
この枝菊以外に、他の図柄で、このような作風と造り込みの鐔が無いから不思議である。

2022/5/25
透かしの繊細さ・細さは京透かし以上である。肉彫り透かしは大雑把であるが、ポイントを掴んでいる。葉の葉脈の彫りには感心する。一方、花の花弁の彫りは、もう少し丁寧に彫ればどうかとの思いを持つが、あまり丁寧だと、記内風になってしまうとも思え、美術は難しいものである。

2021/5/30
『これからの鐔収集』の104頁に、この手の古萩の枝菊透かしと一緒に、四季の図(京透かしのような鐔で、抽象的な文様を雪、花、青葉、月で四季としているが、無理のある命名と思う)と称している「房吉作」在銘の透かし鐔が所載されているのに気が付いた。切羽台が極端に上部が狭くなっている鐔である。
2021/3の末に「菊花の透かし彫りの名人の九州の房吉」に言及したが、この在銘作が、この房吉に該当するとすると、切羽台の形状などから別人と思う。
なお、この本所載の古萩は私の所蔵品と同様に整っている方だが、やはり下部の葉の陰の透かしは、所蔵品ほど細かくない。そして所載の鐔は耳に烏銅(赤銅のこと)の覆輪をしている。

2021/3/25
この鐔=私の古萩は、各書に古萩として所載されているどの鐔よりも良いものだ。そして、こうして拝見していると、実に名品だと思うのだが、魅力の源泉はデザインなのか、透かしの技術なのか、答えに窮するところがある。地鉄はこの鐔よりも良いものは金山、尾張、信家、肥後などにある。作者が作品に籠めた思いの力もあるのだろうか。よくわからないところのある鐔だ。その分、深いのだと思う。

2021/3/23
櫃孔の枠の線も美しく、陰の透かしの線と同様だ。九州のどこなのだろう。肥前の長崎近辺なのか、あるいは筑前の博多か、豊後の大分か。

2021/3/22
耳は丸耳に加工しているのだが、滑らかではない。こういうところも特色のような気がする。

2021/3/20
ちなみに『金工事典』(若山泡沫著)の【房吉】の項には「九州の上手の鐔工で「菊の透しに妙なり」と一本に記すが、あるいは肥後の林藤八同人の房吉であろうかという。」と記されている。
林藤八であれば、わざわざ「菊の透し」だけを褒めることはないと思う。
そして九州の名工房吉作の鐔を、京正阿弥系の鐔工などが時に金象嵌なども加えながら写し物を製作したのであろう。古萩と称するものには写し物が多いと思う。

2021/3/19
『日本刀大百科事典』(福永酔剣著)の「むねよし【宗吉】」=菊彫り長兵衛の項に、次の記述があることを最近知った。
「(前略)菊花の透し彫の名人として、江戸初期、九州に房吉という名工がいた(93,94の出典)」(注)出典の93は『刀盤賞鍳口訣』(松宮観山著)、94は『装剣奇賞』(稲葉通竜著)
『刀盤賞鍳口訣』と『装剣奇賞』の原典は確認していないが、この鐔などは、江戸時代前期の九州の名工房吉の作品なのかもしれない。

2020/10/15
下部の葉の陰の透かしは、同種の古萩鐔の中でも、手の混んだ凝った透かし(鑑賞記での「2.現存する他の古萩鐔との比較」参照)であるが、この葉の形状は陽の透かしの葉とは形状が異なっている。枝菊とは別の花の葉の可能性もある。そう考えると、菊の花も上部の花と右下や左下の花とは違うことに気が付く。

2020/10/14
際だった透かしのデザインだ。同種の他作品を見ないのが不思議である。孤高の作品だ。

2020/4/20
美しい櫃孔の形状だ。切羽台もどっしりしていて整っている。

2019/9/8
陰の透かしの線(花)は伸びやかで丁寧であり、(下部の葉)は複雑で手間のかかった仕事である。加えて櫃穴の透かしの線が美しい。

2019/9/6
同時に野趣というか素朴で逞しい感じもする。

2019/9/5
品が良い鐔である。(写真を変える。以前に掲示した写真より小さい写真だが、右の方にも満遍なく光が当たっている)

2019/9/3
この図柄をデザインし、陽の透かしと陰の透かしを組合わせ、陽の透かしには肉彫りまで施すということをやったのは、この作者を嚆矢とすると思う。そして、他の職人にマネをされていったのだろう。

2019/8/31
この鐔は古萩と称される鐔の中で、上手(じょうて)で古いものの1枚だと思うが、やはり室町ではなく安土桃山時代のものだろう。枝菊を彫ったものは重要文化財の毛利家伝来「菊造腰刀」の拵(拵は室町初期と推定)や、蝦夷拵や古美濃にも存在するが。

2019/4/27
陰の透かし彫り(対象物の形を面で残さず、線だけで表現)が実に丁寧で上手だが、その技術が櫃穴に生かされていて、気持ちの良い印象を与える。

2019/4/25
後藤光侶の枝菊図小柄を観ている内に、この鐔を思い出す。ともに葉の葉脈を低くして彫り上げている。菊の葉は、このようにして表現することになっていたのであろうか。葉に生気・勢いを感じる。

2018/12/18
美しく、整った櫃孔である。縦長めで肩が張っている。折り目正しい緊張感も出ている。

2018/12/16
彫りの陰陽、図柄の陰陽(花と葉)、図取りの巧拙が、交じりあって、魅力的であり、不思議な感覚を覚える。

2018/12/14
こみ入った図柄だが、伸び伸びと図柄を彫っており。大きさを感じさせる鐔である。

2018/2/15
去年の3月25日の日記に記してますが、『わが愛鐔 透し鐔100選』(進藤武夫著)に所載の古萩を、「手元に置いて鑑賞」の鑑賞記の比較写真に追加でアップ(
この色で記してます)。優美な感を抱く鐔です。

2018/2/2
古萩とされる鐔は不思議だ。私はもちろん、これが長州で製作されたとは思っていない。これも尾張と称される鐔と同様に京、奈良、堺あたりの畿内だと思う。
正阿弥の一派であるなら、この図以外の作品にどのようなものがあるのだろうか。肉彫り透かしで、透かしは実に細かい。際だって特異で優れているから先人はわざわざ古萩という分類名称を付けたのだと思う。
越前記内の江州銘が肉彫り透かしだが、この鐔とは感じが違う。同種で異図柄の鐔を見つけたい。そして、この図柄が良い為か、意外に写し物が多い。
もう一つは、細かい上手な絵取りと透かしだが、菊花の肉彫り透かしだけは、稚拙である。上手に彫れるはずなのに、わざと稚拙にしているように見える。何なのだろうか。

2018/1/31
櫃孔が実に丁寧で上手である。また切羽台の形状も先が狭まり、元がどっしりして堂々たるものだ。

2017/4/3
実際の大きさも大きいが、スケールの大きさを感じる鐔である。陰刻の多さが開放感を与えているからだろうか。

2017/3/25
昨日、気が付いたのだが『わが愛鐔 透し鐔100選』(進藤武夫著)の165頁に古萩鐔が掲載されている。私の鑑賞記に掲載したものとは違うものであり、近いうちに加えたい。私のものに最も似ているものだが、下部の陰の葉の葉脈は私のほど細かくなく、他の同種鐔と同様だ。ただ本の中に、当該鐔には銀象嵌の跡があるとのことであり、興味深い。

2017/3/23
一方で、葉の方は、そのようなバリ的なものも無く、キチンと形通りに彫っている。だから花の方は意識して、そのように彫っていると思うのだが、何だろう。

2017/3/22
この鐔に限らず、古萩の鐔は、陽刻の花の彫りが花型どおりにシャープに彫るのではなく、バリのようなものがある。鋳物でもバリはとろうと思えば取れるものだし、一体何なのかと思う。

2016/12/18
透かし鐔において、切羽台の形状と櫃孔の形状は大事である。切羽台が貧弱なものは好みではない。この鐔は大きく、堂々としている。
櫃孔も歪んでいたり、貧弱なのはダメだ。上下が膨らんでいて、室町古鐔の櫃孔と似ていないこともない。

2016/12/14
巧みさ(葉)と、拙さ(菊花)が交じるのは不思議である。何か意図を感じるのだが、見えてこない。
切羽台は大きく、下部がふくれており、堂々たるものだ。櫃孔は一転して繊細で丁寧だ。

2016/9/17
枝の存在感を改めて認識する。これは鑑賞記においても記しているが、面白い。陰陽のリズムの良さの中における、陰と陽の調和の良さといい、何か世の中の2側面を考えさせられる鐔である。

2016/9/15
古萩には「枝菊透かし」以外の図があるのだろうか。以前、ある刀屋さんのショーケースに古萩として展示されていた鐔を観たことがあったが、正阿弥、少し繊細だったから京正阿弥というものだった。手にも取らずに通り過ごしたが、わからない話である。

鑑賞記にも紹介したが、枝菊の図は古くからあり、蝦夷拵でも観た記憶がある。また古美濃の目貫にも感じは似ている。もっとも蝦夷という名称、古美濃という名称も、本当に蝦夷の拵なのか、美濃で造られた目貫なのかはわからない。古美濃は江戸時代の美濃の金工が同種の刀装具(縁頭に在銘を見る)などを作成したからだろう。長州鐔に同様な図がある古萩と同じことだ。闇の中。

2016/9/14
陽の彫りの葉は上手なものだと感心する。一方、陽の彫りの花はきちんと整えて彫っておらず、稚拙な感じを与える。陰の彫りは左側の花、下の葉は上手い。一方、上左の花の彫りでは上部の陽の花側との花弁と接合させている為か写実が崩れている。稚拙な感じを与える所、崩れた所は、この作者の技量であれば上手に彫れると思うのだが何なのだろうと思う。

この鐔よりも遅く造られたと思う古萩鐔(鑑賞記の2章の写真をアップした4枚)も同様に陽の彫りは稚拙である。3章に掲示した長州鐔の方が巧みである。不思議と思う。

2016/9/13
この古萩鐔は、現存している古萩の中でも一番古くて上手(じょうて)のものだと思う。浮世絵では、初摺りから、後摺りにかけて、徐々に手を抜いていく。この鐔の下段の陰の彫りの枝葉の彫り、他の古萩よりも陰刻の数が多い。鑑賞記の2章の比較図の通りである。

耳は丸耳である。古い時代の鐔は角耳と思う人がいるが、有名な尾張の花弁透かしは丸耳だ。切羽台も長く、先が尖り気味だ。櫃孔も左右同形で細長い。

信家:戦争(折れ松葉)と平和(桜狩)の図

 
2024/9/7
鉄骨、湯だまりなどは意識して出したものではないと思うが、場合によっては瑕疵になる鉄の働きを取り入れており大した作者である。

2024/9/3
重たい鐔は手・腕・腰に負担になると言っても、命のやりとりをしている場では、敵に勝ち、身を守ることが最優先だ。頼もしい鐔となったと思う。

2024/8/30
透かし鐔と違って、板鐔だから当然なのだが、重さがある。重さが斬撃力を高める効果もあると思うが、重さは手・腰には負担となる。

2024/8/26
「信家」と鐔工自身の銘を切っており、お抱えとかの立場ではなく、流通市場で販売して地歩を築くことを志向したのだと思う。そうすると、需要家層が多い当時の大都会、伏見、京、大坂、堺などと考えられる。当時の埋忠明寿は京、金家は伏見である。甲州などはありえないと思う。

2024/8/22
後に安芸国に出向くわけだが、福島正則家と一緒に移った(慶長6(1601)年)のか、浅野長晟家と一緒に移った(元和5(1619)年)のかはわからないが、浅野家の前の領地紀伊国には法安もおり、彼が信家の弟子と考えると、浅野家随臣とも思える。。

2024/8/18
この鐔は近刊の「刀和」(令和6年7月号通巻405号:拙稿「安土桃山時代の名作「柳鷺図」目貫ー躰阿弥永勝の作品では?ー」所載)に「刀装具の鑑賞」として福士繁雄氏が次のように紹介している。「この鐔は、竪丸形の板鐔ですが、地金が勝れ、平地の凹凸も感じが良く、耳と耳際には鉄骨がよく働いています。図柄は信家には珍しく源氏車に桜の花を散らし、裏には零れ松葉を毛彫りにして風情があります」

2023/12/21
耳側の方が少し厚く(高く)、そこから一度へこんで切羽台でまた厚くなるような造り込みだ。もちろん、それぞれほんのわずかな高低だが。

2023/12/17
地肌の槌目仕立ても、透かしの無い板鐔だけに、全面に見られて好もしい。叩きながら造形していったのだ。それから火に入れたのだろう。一部の鉄がとろけて槌目と融合して景色を有無。

2023/12/13
信家は木瓜形の造形はもちろん魅力的であるが、変哲も無い、このような長丸形にもなんとも言えない魅力がある。

2023/12/9
地鉄の色は黒ではなく少し灰色が交じる感じである。題目・生者必滅鐔は少し赤茶が混じる感じでちょっと違う。昔から信家には2通りの鉄色があると言われている。この鉄色の違いは太字銘と放れ銘の違いということではないようだ。

2023/12/5
板鐔で、ある程度厚みもあり、重い鐔である。鐔の重さは戦場をどの程度意識するかで、やはり変化すると思う。戦乱の余塵が残る時代だ。

2023/12/1
信家に松葉の図は多い。『信家鐔』(池田末松著)には、画題別に信家を分類しているが、それは「亀甲紋」「海藻」「波」「唐草」「松葉」「瓢箪」「梅樹」「草花」「網」「車」「虎」「木菟」「龍」「南無妙法蓮華経」「文字」などである。
「松葉」では、9枚ほど所載されている。この鐔は、その9枚以外である。

2023/11/27
裏の折れ松葉を私は戦場に折れた矢が散らばっている様子に観たが、折れ松葉は「枯れても、木から落ちても、折れても、離れない」という意味の縁起物として使われる。ただ、この鐔の印象は荒涼たる様子である。

2023/1/27
信家は鐔製作職人だが、作家意識の強い人=芸術家である。信家の生み出す造形は、「信家木瓜(もっこう)」と称される木瓜形や、この鐔のような「長丸形」が基本だから、1枚づつ微妙に異なる。また彫る図柄・文様も一定の傾向はあるが、1枚づつ異なっている。さらに述べると鉄味も焼き手をかけての錆び付けだから、微妙に違う。それが400年の星霜を経て多くの愛好者の手入れで変化している。これが愛好する人が何枚も所持したくなる所以なのであろう。

2023/1/25
この鐔の文様を私は「戦争と平和」図としているが、この表に日傘とサクラ、裏に折れ松葉を彫った図は、注文ではなく、信家自身が彫りたくなって彫ったのであろう。製作当時は戦国末期でつかの間の平和な時期だったのだろう。醍醐の花見なども行われていた。そのような気分を象徴する図を彫ったが、つい近年までの戦いが続いて、死体や折れた矢も散乱している戦場光景も脳裏を横切ったと違いない。この作者の気分に同調した顧客が買い求めたのであろう。平和な時期にあっても、戦争への備えを忘れるなという意味にとったのかもしれない。

2023/1/23
この鐔のように、大きくて、形も良く、重量(厚み)も程よくあり、鉄味が抜群のものがあるから、信家は「鐔界の王者」としてもてはやされるのだろう。

2023/1/21
この形もいい。長丸形なのだが、わずかに下部が膨らんでいる。下部が膨らんでいるというより、上部の肩の部分がわずかに撫で肩になっていると言った方がいいのだろうか。

2023/1/19
槌目地の力強さ。槌目は適当に打っているのだと思うが、こういうのは作者の力量なのだと思う。400年後の私が感じるのだから。

2023/1/17
同じ信家(もっとも放れ銘と太字銘で別)でも、鉄味は「題目・生者必滅」鐔とは違う。こちらが紫錆で青黒く輝くような地鉄に対して、あちらは赤気も混じる感じの地鉄である。こちらの青黒い紫錆の方を評価する人は多いだろう。ただ鉄鐔の錆び色は不思議なもので、私の所蔵品はそれぞれに微妙に異なっている。

2023/1/15
この重さで、刀に付ければ、一人余計に斬れるという感覚を持つ。理屈で説明すると、刀を振り下ろすスピードが、この鐔の重みで増して切れ味が良くなるということだ。もちろん、そんな感覚を感じるということである。

2022/3/10
形は大きめの長丸形で、変哲も無い形とも言えるが、寝床の中で触っていると、掌(てのひら)にちょうど収まり、なんとも言えない存在感を感じる。それは重量にも関係するし、耳のごつごつした感触が包み込み、保持している各指を刺激するからと思う。

2022/3/8
上の写真では、この鐔の輝きは出ていないが、良い地鉄である。金山の山道文の鐔と同じ地鉄である。裏を見るとよくわかるのだが、耳際の塊状鉄骨の連なりを削り取って抑えてはいるが、やはり耳際の方が高くなっていて、やや中低の造り込みである。

2022/3/6
この欄でも何度か触れているが、この鐔は、私の國廣の印象「屈託の無さ」(本間薫山評)、「とらわれない気宇の大きさ」(伊藤評)と共通する。地鉄の仕立てにおける鍛え割れ、地の荒々しい鎚目、不規則な鉄骨、湯だまりなどは、國廣において「適当に刃取りした」と同じ感じだ。面白いと思う。

2021/8/15
今日は「終戦の日」。”終戦”という言葉よりも”敗戦”の言葉を使った方が良いような気がするが、これは人によって違うだろう。悲惨な戦いに民族を巻き込んだ責任が”終戦”では薄められる感じがする。一方、”敗戦”とすると、負けたことの悔しさ→復讐(昨今はリベンジなど使う)の意識が出やすくなり、これはこれで問題な気がする。
それはさておき、この鐔の図柄で「戦争と平和」を言葉に出したのは私がはじめてだと思うが、折れ松葉=折れた矢だけでなく、裏地の鍛え割れ、全体の荒しなど荒涼な感はする。

2021/8/13
裏の地は、耳側と切羽台の間がわずかに低くなっている感じがする。耳側に鉄骨などが出て、鉄が盛り上がっているからだろうか。表側はそんなことはなく、全体が同じ高さ(厚さ)である。

2021/8/11
無造作に造っている感じ。そして「信家」と力強い二字銘の銘字。これは私の国広と共通する。国広の印象として「とらわれない気宇の大きさ」と称したが、本来の意味の「ざんぐり」(自然な感じで風味があるとか大まかであるために、かえって趣きが感じられる)と同様である。
私の国広は慶長7、8年頃(1602~1603)年の作と推定されるから、この信家の鐔も同年代で、福島正則家転封直後(職人として少し遅れて芸州入りの可能性もある)なのだろう。

2021/8/9
こちらの鐔は手入れをするまでもないが、手に取るたびに木綿布での拭いは欠かさない。銘字「信家」の鏨の深さ、強さを改めて認識する。鐔工としての自負が強かった人なのだ。
秀吉の有名な「醍醐の花見」は慶長3年(1598)だ。もちろん日本人は、それ以前からお花見をしていたと思うが、この鐔は何となく花見がポピュラーになってからの作品と感じる。戦乱の合間にも花見ができるが、やはり平和な時期だろう。その2年後に関ヶ原の戦い(慶長5年=1600年)だ。信家は関ヶ原で大きな戦功「を立てて芸州に転封(慶長6年=1601年)された福島正則家に随身したと考えられており、戦の場の悲惨さも当然に聞いている。

2020/12/17
地の打ち込み、鏨の跡は焼き物と同じような肌を出すために行ったのであろう。

2020/12/13
耳の横側の鉄骨の状況を改めて調べると、塊状鉄骨が大半だが、上部に線状鉄骨、左横に太い線状(明確な線にはなっていないが)の鉄骨もある。左斜め下には粒状鉄骨の卵と、大きくなり過ぎた粒状鉄骨(塊状鉄骨の形が比較的整ったもの)がある。

2020/12/8
造形で先日(12/3)に「長丸形で僅かに先がすぼまる」と書いたが、「長丸形で中程が僅かに丸みを帯びて出張る」ところが優しさも出て魅力であることに気が付いた。

2020/12/5
十分に良い鉄味になっているのだが、改めて木綿の布で擦る。古人が喧伝した紫錆とは、このことだ。金山の山道文透かしは同じ鉄味だ。金山の松皮菱は野趣があるがやはり同じような鉄だ。
この紫錆以外にも王者又七の清澄な感のある羊羹色や室町古鐔や尾張の桐・三蓋菱透かしの真っ黒で輝く鉄味の鐔を所有しているから紫錆が最上とは思っていない。

2020/12/3
この鐔の造形のことを、この日記でも時々記しているが、長丸形で僅かに先の方がすぼまる形状で、お茶碗を両手でいただいた時に丁度良いような形状で、ぬくもりも感じる。

2020/12/1
信家も同時代の陶工と同様に、鉄骨は削り取らず、湯だまりや鍛え割れも敢えて出したまま製品にしたのだろうか。あるいは湯だまりや鍛え割れのある作品を廃棄することなく、市場に出したのであろうか。

2020/11/28
日本の茶人は、茶碗に出る景色を愛でた。景色とは釉薬や陶土が焼きしめられる時に炎によって生じる釉薬の乱れやひび割れなどや、年月を経る中で生じる汚れまでも景色に含めて愛玩した。中国人や欧州人は完品を求めるから、日本人独特の美の鑑賞である。千利休や古田織部など桃山の茶人が見出した美意識である。
信家の鑑賞においても、鉄の鍛えられた跡、鍛錬傷や、焼き鈍しで生じた時の鉄の変化(鉄骨、湯だまり)などを面白いと観られるかどうかである。

2020/11/25
戦乱の無い穏やかな日々(桜狩りの図で象徴)も、直ぐに戦乱が始まり敗軍になるやも知れない(折れ松葉=折れた矢の図で象徴)という当時の武士の意識が、後の世の人々にも共感を与えたのであろう。
所有している「題目・生者必滅」も、死は早い・遅いの差はあっても必ず訪れるもの(生者必滅)であり、それを恐れずに武名を揚げ、後生は仏に任せる心境(南無妙法蓮華経)を表現したものであり、この鐔を身に付けた武士の気持ちに、我々も共感するのである。
信家の作品は表裏の彫りで思想というか、古今の人間が共感する心情を表現している。(「題目・生者必滅」鐔にも同種の記述をする)

2020/11/22
縦84㎜、横79㎜で厚さは5㎜の板鐔で、気持ち中低の造り込みである。鉄の板鐔の重さとしては、このくらいが限度なのかなとも感じる。透かし鐔の一つの意義は、重さの軽減にあるのだろう。

2020/11/20
伊賀、志野の陶器との共通性を書いたが、以前に書いたように堀川国広の二字銘、堀川国広の刃紋=当時の武将が愛でた相州伝の作風とも共通性がある。

2020/11/18
茶道具の伊賀焼、志野などの雰囲気に似ている。この時代に愛された感性であろう。

2019/12/17
厚手の鐔で角耳から茎孔にかけて、わずかに中低に平肉が落ちていく。その途中では毛彫の箇所が指の腹に感じる。寝床での楽しみだ。

2019/12/16
厚手の板鐔であり、重い。この鐔を手にしていると、透かし鐔の目的の一つは鐔の重量軽減にあると思う。

2019/12/15
堀川国広に破調の美があると同様に、この信家にも破調の美はある。2017/2/16にも同種の感想を書いているが、焼き物の伊賀焼の名品「破袋」などとも同じだ。お茶を白い磁器で飲む中国人や西洋人には理解できない美なのか。あるいは大陸にも同種の美はあるのであろうか。

2019/9/13
信家の木瓜型(放れ銘に多いが)も変化・工夫があって味があるが、信家の長丸形の形状もいいものだ。

2019/9/12
前日に述べたような寓意を持って、信家が製鐔したかどうかは断言できないが、信家には「生者必滅」や「運有天 具足有質屋」「人間万事塞翁馬 悲神悲仏即身成仏」などの教訓的な文字を彫った鐔が「南無妙法蓮華経」の題目とならんである。
桃山時代のことである。当時としては教養があった人物と考えられる。

2019/9/11
この鐔を「戦争」と「平和」の図と称しているが、「戦争」を”折れ松葉”で表し、”折れ松葉”は(戦場に散らばった折れた矢)を寓意する。兵(つわもの)どもの夢の跡という感じである。地の荒々しい鎚目。不規則な鉄骨、湯だまりなどが荒涼さを増している。
「平和」は”桜狩”をイメージして、(笠で人物、桜の花で満開の桜)を寓意する。ここの地にも荒い鎚目があり、鉄骨があるが、こちらでは桜吹雪のように観てしまうから眼は不思議なものである。言い換えれば眼は脳の認識に応じて観てしまうものだと感じる。

2019/4/16
作鐔する工人・信家と、この鐔を求める人々の気分が出ているのだろう。それが時代の潮流。

2019/4/14
放れ銘の信家は木瓜形が種々に変化に富んで、またそれぞれに面白く、魅力的である。太字銘のこの時代(円熟期から晩年だと思う)は長丸形が多いが、この鐔のように、ちょっと下脹れのこの形が究極の形状と考えはじめたのではなかろうか。

2019/4/12
上記の写真ではわかりにくいが、表側は切羽台に向けて、放射状に細かい槌目を打ち込んでいる。今日、はじめて思ったのだが、桜吹雪をイメージしているのかなとも考える。季節が桜吹雪の季節だからであろうか。

2018/8/30
『中村覚太夫信家鐔集』には48図に「槌車」(水を汲みやすく、桶がついた車)、62図に「槌水車」、75図は三信家だが「槌車」、80図がこの図と似た「源氏車」(ただし外輪がより車らしく3重の線)、81図に遠景に「槌水車」、126図に「片輪車」(スポークが少なく、軸も太い)とある。いずれも、この鐔と異なる図であり、「日笠」でいいと思う。

2018/8/27
裏の松葉の線彫りは五つ彫られているが、内の四つは「折れ松葉」だが、一つは折れていない。だから画題は「折れ松葉」ではなく「こぼれ松葉」でいいと思う。毛彫りに深浅があり、不明瞭になっているものもある。地は荒々しく、塊状鉄骨が大きいものから小さなものまであり、湯だまり(表面が溶けて崩れたような変化)や地の鍛え割れもあり、荒々しい。戦いが終わり、勝者、傍観者の略奪も終わったような戦場風景を暗示している。

2018/8/26
表の図柄、これまで「花に(淀の)水車」とか「花に源氏車」、あるいは「花に笠」と迷っていたが、最近は花見見物に出た人の日笠かなと思い始めている。もちろん、そうだと確信したわけではない。ともかく平和な風景を象徴したものだ。

2018/8/25
鉄という丈夫な素材の性質を知り、信頼した上での、鉄の景色の面白さを表現している。

2018/8/24
力強いが、力強いに直結する武張ったところや、剛胆なところ以上に、どこか洗練したところを感じる鐔である。洗練に直結する線の細さや優しさはないが、諦観からくるような洗練さなのだろうか。なかなか言葉では表現しにくい。

2018/8/23
鐔として、ぎりぎりの重さだと思う。それを実現した長丸の形状と大きさ、薄くもないが厚くもないという厚み。この重さが刀の斬撃力を高めたような気もする。

2017/6/9
厚手の板鐔だが、切羽台付近が耳より低い(薄い)中低の造り込みである。

2017/6/7
厳しいところのある鐔だと改めて感じる。

2017/6/6
透かし鐔でなく板鐔であり、面積も大きく、厚みもある。だから重量が所蔵品の中で一番重い。そういう存在感だけでなく、観る人の心を掴む存在感がある。作家意識が明確だった鐔工だったのだと改めて思う。

2017/2/19
耳に塊状鉄骨とその前段階のようなものが7~8箇所、そして線状鉄骨の前段階のようなものも上部にある。耳際の地にも塊状鉄骨と湯だまりがあるが、一つ塊状鉄骨の小型で、粒状鉄骨の大型のものが表側右下部にあり、強い光を放っている。

2017/2/16
作風と言い、銘と言い、国広に似ている。あまり細かいところに拘らず、地の鍛え割れ、湯だまり(表面が溶けて崩れたような変化)があっても構わない。国広の湯走りのようで、全体の印象も本来の意味のざんぐり(自然な感じで風味がある)である。銘字は二字銘でタガネは深く、強い。同じ時代だ。

2016/12/2
鎚目地であり、表には下右に塊状鉄骨が地に出ている。裏は鉄骨が周囲に出るだけでなく、茎孔の周りには鍛え割れもあり、折れ松葉の彫りと相俟って、荒涼たる戦場のようだ。こういうのも作者信家は意識していたのかもしれない。また求めた武士も、その景色を了解したのだろう。

2016/9/4
鑑賞記では地に高低は無いと書いたが、気持ち切羽台の方が低いのかなと感じる。裏の地におけるふくれ破れ的な景色、鍛え割れのような線、それは折れた松葉と相俟って、荒涼とした感じである。戦の跡との情景をさらに高めている。

2016/9/3
この信家にしても、同時代の金家、明寿にしても板鐔が多い。私は彦三の透かし鐔を持っているが、彦三も色金の板鐔が中心である。肥後遠山も板鐔だ。
桃山時代は透かし鐔よりも板鐔が主流だったのではなかろうか。

そして桃山時代の鐔は、形状が円形よりも、木瓜形とか、長丸形、あおり形、ひねった形などが主流と感じる。なお次の時代(寛永~寛文の頃)の肥後の又七、勘四郎、志水初代なども形状は変化に富んでいる。

慶長の一つ前の拵(天正拵)に付いている鐔は古刀匠、古甲冑師のような鐔が多い。

こう考えると、室町時代や桃山時代とされている京透かし、尾張、金山、古正阿弥の透かし鐔の位置づけも考え直した方がいいのかもしれないと思う。もっとも、この時代に透かし鐔を造った鐔工集団は銘を入れなかったと済ませばいいのか?

2016/9/1
形は長丸形なのだが、気持ち上部が狭まっているような感じ(鑑賞記においては「気持ち下膨らみの穏やか長丸形と書く)である。良い形だと改めて感じる。鑑賞記では「迫力がある」と書いたが、迫力は形から来ていると言うよりは透かし鐔ではなく板鐔であること、鎚目で焼き手をかけて鉄骨が出た地鉄の力なのかもしれない。
改めて形だけの印象を述べると、形は優しい感じもする。武骨な中の優しさである。

2016/8/31
裏の「こぼれ松葉」の彫りを、折れた矢が散らばる戦場の跡の象徴と観ると、鎚目が戦場を往来した武者の無数の足跡だ。
一方、表は桜を愛でる平和の象徴だ。こちらの鎚目を下述したように桜が散る水面のさざ波か、桜を散らす風と見える。あまりに自分勝手な見方であろうか。
でも、眼とはそういうものだ。あるいは、そのように見せてしまうのが芸術家なのかもしれない。もちろん信家は自分を芸術家などとは思っていないが、優れた個性は作品を芸術にする。
常在戦場を意識させるのも一つだが、戦後の平和を謳歌するのも一つだ。この時の信家の心境は後者だったに違いない。

2016/8/30
この鐔の鑑賞記で、この鐔の表は「源氏車と桜」で平和の象徴、裏は「こぼれ松葉=折れ松葉=折れた矢」で戦争の象徴とした。源氏車だが、他の絵画や後藤家の彫物、あるいは源氏車紋では車の外枠は二段になっていて、外側の輪は木材で例えば八等分して丸く輪にして、内側の輪は、外側の八等分した木材の隙間を埋めるように、同じく八等分して輪にしている。そして、そこにスポークに当たる木材をつけて車軸に繋げている。
この絵では、外側と内側は同じ車軸が貫いている。絵は簡単に画いたのだとも言えるが、車とは違うのかもしれない。
一方、淀の水車との説もあるが、淀の水車も多く絵には描かれているが、こちらは桶のようなものを外側に付けていたり、外側の水を汲む部分が明確になっていたりする。
もう一つ、頭に被る笠の図とも考えられる。桜見物に来た人の上に桜花が散る風情である。
地鉄に少し放射状に打ち込まれたタガネの跡が水面の寓意とみれば、水車かもしれないし、それを桜を散らす風の寓意とみれば、源氏車か日笠なのかもしれない。

赤坂初二代:四方松皮菱透かし

 
2024/8/14
切羽台の茎孔の左側上部に太い鏨が入っている。こういうのは後からも入れられるが、作者の隠し鏨の可能正もある。

2024/8/10
このような下部が広がった(上部が狭まった)切羽台に適合する町彫り諸工の縁頭は見ない。早い時代の西垣勘四郎にも見ない。どういうことだろうか。

2024/8/5
折れ線の美しさだ。松皮菱の段差を線の肥痩で表現したセンスは素晴らしい。

2024/1/6
地鉄は澄んだ輝きもある。もう1枚の赤坂は黒くねっとりした地鉄だが、まったく違う。

2024/1/2
透鐔のデザインには素晴らしいものが多いが、このデザインも優れた透鐔デザインの一つと思う。線の軽い屈曲と、屈曲部分のわずかな凸部で松皮菱の屈曲部分を表現して、うるさくない図柄にしている。

2023/12/29
京都から新興の江戸へ出て真価を問うことになったが、洗練さと同時に荒削りな気合いも感じる。

2023/12/25
輝く澄んだ鉄味であり、黒くねっとりした鉄味ではない。透かしの線が実に巧であり、感心する。

2023/5/25
赤坂鐔は昔、竹の葉を透かした7代くらいの小鐔を所持していたことがあるが、それ以外に入手したのはこの2枚である。この2枚の作者は別と思う。他に所持していないから代別などを言及する資格は無いのだが、感覚で強いて分類すると、こちらが、より京透かし、尾張透かしに近く、初代なのかと感じる。地鉄の鉄味も、そんな感じである。もっとも、この鐔は『鐔の美』に所載で、そこでは二代とされている。切羽台、櫃孔の形状は二代らしい。

2023/5/23
地鉄は、赤坂鐔らしい「にっとりとうるをひあり」という黒みが勝ったもの(このページにも掲載の「歳寒三友図透かし」が典型)ではなく、深みのある輝きを持つ美しい地鉄である。

2023/5/21
このデザイン、松皮菱を押しつぶすようにデフォルメして、屈折箇所を線の肥痩で表現するなど、垢抜けている。京の呉服商雁金屋に縁があるというのも理解できる。

2022/5/23
切羽台の上下の繋ぎ棒に菱(◇)型は、やはりバランスから、ここに入れるのが良いと判断した為であろう。無い状態より、今の型の方が断然良い。

2022/5/21
『透鐔』(笹野大行著)に二代忠正として所載されているもの(もちろん在銘品が無いから本当のところはわからないが)に、このような先窄まりの切羽台がある。ただし、二代忠正と極めてられる他の鐔の切羽台は、普通のものもあるから、切羽台の形状はある特定の時代(若い時期?)のものなのだろう。

2022/5/19
この鐔の切羽台は、先窄(すぼ)まりの度合いが強い。在銘の縁頭で古い時代のもの(勘四郎縁があるが)も、これほど先窄まりではない。ファッションの道具でもあるから、地域(江戸)では、このような縁が流行っていたのかもしれない。奈良利寿(元禄時代)の縁も、このようなものはみない。研究課題である。

2022/5/17
垢抜けたデザインを武骨に造るのが赤坂初二代の真骨頂と思う。

2022/5/15
切羽台における中心孔の側面(切り立て部)に、鍛え割れから三枚鍛えの痕跡が見える。耳のところどころに微かな鍛え割れもあり、線状鉄骨、塊状鉄骨を均(なら)したような跡も見られる。

2022/5/13
それほど、精密には作っていない。これは他の赤坂初二代の鐔にも言えることである。ただ卓越したデザイン感覚に自信を持って、「どうだ、俺のデザインは」という感じのものである。

2022/5/11
松皮菱の屈曲を、線にわずかな出っ張りを付けるだけで表現して、スッキリさせたセンスは見事。

2022/5/9
大きくて、透かしのデザインも洗練されていて、鉄味もいい、透かし鐔らしい鐔である。

2020/5/6
京都から雁金屋彦兵衛が後に赤坂初二代となる忠正の兄弟を連れて江戸に来て、彼がデザインした鐔を造らせたという伝承があるが、京都の有名な呉服商雁金屋は浅井家の家臣の出で、浅井三姉妹(淀殿、秀忠夫人、京極高次夫人)の愛顧を受けて栄え、家光の娘で時の後水尾帝の后の東福門院の時代に全盛を迎える。東福門院の死後、4代目の宗謙は大名貸しで失敗して没落する。ちなみに宗謙の次男が尾形光琳で三男が尾形乾山である。彦兵衛と忠正兄弟は寛永年間(1624~1643)に江戸に出たと伝わるから、雁金屋が全盛期に暖簾分けをしてもらった人物で、デザインに関する仕事をしていたのであろう。東福門院は延宝6年(1678)に死去しているから、呉服商雁金屋が傾くのは元禄期(1688~1703)なのであろうか。

2020/5/3
赤坂鐔は、事物をデザイン化(デフォルメ、抽象化)して、人々により好まれる図柄を創出して彫っている。京透かしと同様に、特定の藩の顧客ではなく、京都、江戸という幅広い顧客が存在する都市の特色なのだろうか。

2020/5/1
丸耳の外側下部左下に長い線状鉄骨、切羽台の茎孔の右側切り立て部分に横の鍛え割れ目が2箇所、連続しておらず、高さが違うのが俗に三枚鍛えの証左か。切羽台の上部が尖り気味で下部より細い点、小柄櫃と笄櫃の形状、切羽台の茎櫃の右上部に細長い鏨、透かしにおける真ん中も◆を間に入れた繋ぎ棒と、松皮菱の各段を線の肥痩(若干の段差)で表現する手癖などが赤坂初二代の鑑定上のポイントか。

2020/4/29
この鐔も透かし鐔の名作の1枚である。地鉄も澄んで輝いて美しいし、洗練された透かしのセンスも抜群である。大きさも大きいし、見栄えも良い。赤坂初二代としているが、同じく赤坂初二代としている歳寒三友の鐔とは地鉄の感じも違うし、切羽台の形状も違うので、別の作者だと思う(製作時代の違いとも考えられるが)。これまでの鑑賞記でも、このあたりのことを悩んで色々と書いている。

2020/4/11
この切羽台の形状は、初代とされているものにも忠重にも存在する。忠重の頃は普通に金工が縁頭を製作していた時代である。忠重は赤坂鐔の伝統に従っただけかもしれないが、よくわからない点である。
初代とされているものはいずれも無銘であるので、時代との関係を述べるのにはふさわしくないかと思う。

2020/4/8
鉄色は輝きが強く、澄んでいる感じがして、感じがいい。切羽台の長さは40㎜と短く、先端が尖り気味で下脹れの形状である。当方が知らないだけかもしれないが、金工の縁頭作品で下脹れのものはみない。縁頭では、初代勘四郎や奈良利寿が古い方だが見かけない。よくわからない点だ。先端が尖り気味は赤坂初代の見所として記されていることはある。、

2019/9/24
所蔵品の中で、同じ赤坂初二代としている2枚の鐔、すなわちこの鐔と歳寒三友透かし鐔では、①地鉄が前者が透明感のある輝く鉄に対して、後者は「にっとりとうるをひ有」地鉄で異なる、②切羽台の形状が前者が小ぶりで下部が大きく膨らむのに対して、後者は大きめで、下部のふくらみは目立たないと違う。
製作した時代の差とも考えるが、同じ作者とは思えないのが正直なところである。もう少し勉強が必要か。

2019/9/21
この四方松皮菱のそれぞれの底辺(切羽台側)を結ぶと、十字架に見える。禁教下のキリシタン武士が所持したという物語にするつもりは一切無いが、昨夜、寝床の中で、十字架に見えた。

2019/9/20
四方の松皮菱を線のちょっとした段差と太さで表現するセンスに加え、松皮菱の上部より、下部の菱をなだらかな勾配にしているセンスも凄いと思う。

2019/9/18
「透かしの補助線」という言葉が適切かはわからないが、切羽台上下にある真ん中に菱形がある棒のことだ。これは赤坂初二代の手癖と鑑賞記においても説明しているが、これが無いのと有るのでは印象が全く違う。デザインセンスがある人だと思う。

2019/9/17
赤坂鐔の鉄味としては歳寒三友の鐔のようなねっとりした艶のあるもの(古書に曰く”にっとりとうるをひ有”)と、この鐔のように澄んだ輝きのあるものの2通りがあるのだろうか。

2019/9/15
この鐔もスケールの大きさを感じさせる鐔である。

2018/12/27
茎孔の上部左の長い鏨、このような鏨は赤坂鐔に多いが、作者の隠し鏨なのだろうと思う。歳寒三友の鐔においては下部右側に見られる。もっとも、この鐔では上部右側にも存在し、それは茎孔を締める際に叩かれたようにも見える。

2018/12/26
良い鉄味、良い透かしデザインで、透かし鐔の名作だと改めて思う。同様に松皮菱を四方に配置した鐔は鑑賞記の2章に掲載しているが、この鐔のセンスの良さが明確にわかる。

2017/6/9
新しく入手した初二代忠正は小柄櫃(櫃というように整っていないが)は大きく、笄櫃(これも櫃として整っていない)は小さい。これも検討を要する点である。
①大小柄として後藤顕乗在銘のを拝見したことがあるが、他では私は見たことがない。
②後藤家の三所物は古い時代は目貫と笄であり、小柄は取り合わせか、後世の笄直しの取り合わせである。(小柄はより実用的なものであり、装飾的なのは少なく、中には大きいものがあったのか?)
③ではこのような小振りの笄の存在だが、いいものではないものに観た記憶があるが、もちろん数は少ない。
③鉄鐔で、小柄櫃と笄櫃に、これほどの違いがあるのは赤坂初二代である。他の地域の同時代の鐔では志水初代にあるが、志水は櫃孔そのものがデフォルメされている。。
★すなわち、江戸の地域特色ではなく、特定の時代相を物語っているのだと思う(顕乗、志水初代、赤坂初二代)が、裏付ける資料も少なく、また小柄、笄櫃孔は後で開けられたものも多く、よくわからない。研究が遅れている分野だ。

2017/5/26
何度も観ているが、今度入手した鐔とこの鐔の似ているところは、デザイン感覚が一ひねりしていて洗練されている点と、耳が小肉付き角耳がより丸耳に近いところと、笄櫃が小柄櫃に比して小さい点である。

2017/5/22
今、自宅の屋根と外壁の塗り直し工事中だが、この色選定も難しい。業者も同じ色でも製造ロットが違うと微妙に違うと言う。そして塗る面の質感などでも見え方は違う。
鉄錆も不思議なもので、同じ作者のものとされていても違う。保存の過程、手入れの方法、後代の色上げもあるのだと思うが、製造した時の鉄素材の違い、錆付け薬の調合具合、この鐔は関係無いが焼き手をかける時の温度などで変化するのだろう。この鐔と最近入手した赤坂初二代も違う。

2017/5/17
古いところの鐔に関しては、切羽台が大きい(タテの長さが長い)ほど、古いのかなと考えている(参考.湯沸文透かし鐔の鑑賞記における3-(2))が、この鐔のように先端が尖り気味なのはどう考えれば良いのだろう。同時代の肥後鐔にはないし、江戸の地域的特徴なのか、赤坂初二代の流派・個人の特色なのだろうか。2016年8月にも同様な疑問を書いている。

2017/5/14
今、同じく赤坂初二代のものの鉄鐔を入手して、切り立て部分の油錆を綿棒で手入れしている。切り立て部分はあまり手入れしない方がいいのだが、透かしの線が不鮮明になっているし、綿棒で擦るだけで取れるような油錆(黒いもの、赤いものが綿棒にこびりつく)は取った方がいい。この時間が楽しい。こちらの鉄も、いい鉄味だが、また少し違ってねっとりしている感じである。

2017/5/11
兄弟と伝わる赤坂初二代に、雁金屋彦兵衛が下絵を描いて指示したというのは本当だろう。鑑賞記に、同様に松皮菱を斜め四方に透かした鐔を掲示しているが、それに比較して何と垢抜けていることか。

2017/3/31
鑑賞記にも触れたが、古赤坂鐔において、この鐔の「松皮菱の段差」や他の鐔の「竹の節」、「かまきりの脚」などを、透かしの線の肥痩(明確な形に彫らず、線の途中の線を膨らませること)で表現する感覚は魅力的である。

2017/3/28
知人から、この鐔が『鐔の美』の91頁に所載されており、赤坂二代の松菱の図として「左右対称の簡素な図で、尾張の作風が残っているが、丸耳切羽台櫃孔等にまぎれもない赤坂の味わいがある」と説明されていると教えていただく。

2016/8/29
先(上部)が尖り気味で下張りの切羽台、この時代に使われた縁頭の縁も、このような形状だったのであろうか。一つも観たことが無い。所蔵している初代勘四郎の縁や、時代の上がる奈良三作の利寿の縁も、ともに腰は低いが、天井板の形式は、先が尖り気味ということはない。刀装具にも解明されていない謎も多い。

2016/8/28
紋の図だから、堅くなりがちであるが、この鐔は、それを克服して垢抜けている。鑑賞記に尾張として掲載されている鐔の写真と比較して欲しい。その理由は下記で記したようなこともあるが、四方に透かした時に耳の円、切羽台の楕円との間で間延びした空間を、切羽台の周りでは櫃孔で、上下の耳の間では中に小さな菱形を配した棒でつないで、嫌味無く埋めていることにある。結果として文様は抽象化され、華やかなものに変化している。大きな広がりを持つデザインに変化している。デザインを担当したという雁金屋彦兵衛の力などだろう。
ただ、耳や切羽台と各透かしの接点は実用を加味してか、しっかりと荒々しく彫り抜いている。こういうところは、後代とは違う初二代の大胆さというか屈託の無さなのだと感じる。

2016/8/27
赤坂初代作として有名な鐔に、鐔の形が円が2つ重なったような蹴鞠(けまり)形で、そこに斧を上に図取って透かし、その斧が松皮菱透かしを叩きつぶそうとしている鐔がある。松皮菱を松の盆栽と見立てて、それを切って薪として、旅の僧(実は北条時頼)をもてなした佐野源左衛門常世の物語「鉢の木」を寓意したものである。同種の鐔が3枚ほどあるようだ。
要はここに松皮菱が使われており、戦国からの時代の嗜好を現している。
それから赤坂初代作として有名な輪違い透かし鐔がある。これは、この鐔と同様に全体の模様を斜めに据えて、花のように広がる透かしを彫り込んでいる。この形体のあり方も時代推定になると思う。

2016/8/26
この鐔において、透かしの線の肥痩(線の太さと段差を入れること)で松皮菱の菱を軽く表現しているセンスは凄いと思う。松皮菱を4つも透かしたら段差のある線でうるさいものだが、線の太さを少し変えて段差を入れて表現しているから模様に膨らみを感じて、良い感じである。透かしの線が耳、切羽台とつながる部分は太めで安定感もある。もちろん実用にも配慮したのだと思う。

2016/8/25
この鐔は、私の鑑賞記においては「古赤坂」と紹介したが、近年「古赤坂」と極められているが時代が若いと思われる鐔、作も劣る鐔を2度ほど見かけたから、この鐔に対して「古赤坂」と言う言葉は使いたくない気分である。
これは赤坂初代か、一緒に仕事をしたという二代の作と思う。この切羽台は三代以下に時代を下げようがないと考える。

この鐔は、松皮菱の各菱形を目立たないようにデフォルメしている。鑑賞記に尾張とされていて、松皮菱が明確なものを同様に透かしている鐔の写真も掲載しておいたが、デザイン的には、私の方が図に膨らみがあって、より洗練されたデザインになってセンスがいいと思う。
焼物の古九谷に、私の鐔のように松皮菱の菱形を目立たせないようにデフォルメした皿を観たことがある。まだ白黒の写真しか入手していないから鑑賞記に追記はしていないが、古九谷は1640~1660年代に製造されたとされている。寛永17年~万治3年である。まさに赤坂初二代が活動しはじめた頃である。

尾張:桐・三蓋菱紋透かし

 
2024/5/12
磨地に、丁寧な彫り、見事な黒錆色など、丁寧に造られたものである。現代では磨地よりも槌目地の方が味があるとして、そちらを愛好する人も多いが、当時の礼装での拵で、鉄鐔を装着する場合は磨地だったと思う。

2024/5/8
この鐔については、「刀和」令和6(2024)年3月号に発表の「「桐・三階菱透鐔」ー紋を手がかりに時代と製作地をー」(PDF文書)にしてアップしているが、阿波の三好家に関係するものだと考える。尾張鐔とされているものには種々の作風があり、”尾張鐔”という分類名称は見直しが必要だと考える。若い人が更に研究して斯界の誤りを正してほしい。

2023/9/15
桐紋には、葉脈の線が、ごく細い毛彫りで施されている。細く浅い彫であるから摩耗して消えている箇所もあるが、このように細い、糸のような毛彫りは考えてみると珍しい。

2023/9/10
法隆寺の西円堂に多くの刀、拵が保管されているが、これらの調査資料を拝見すると、美術的に価値があるものはほとんどなく、打刀拵に付けられている鐔は古刀匠、古甲冑師とされる簡単なものである。室町時代、桃山時代の透かし鐔は当時の高級品だったことは間違いがないと思う。

2023/9/7
尾張と分類される鐔が、尾張の国で製作されたかは不明である。陶器は窯跡が発見され、そこに捨てられた陶片との共通性で、製作場所がわかることもあるが、鉄はそうはいかない。
私が言い出したことであるが、尾張と分類されている鐔の良いものは、図が外に外にと働く感じがする。この鐔は三蓋菱の最下段の菱が上下に大きく伸びているところだ。

2023/9/4
家紋とか、旗印などを注文して透かすというのは当然に考えられる。言い換えると、誰でもが好むような図柄、すなわち縁起が良い図柄、美しいと感じる図柄などは汎用品として市販されたもの、こういう紋や旗印などは注文品なのかもしれない。ただ注文品と言っても、旗印などは軍団所属の武士に支給することも考えるわけだから、注文品=手間をかけた品とは言い切れない。

2023/8/31
この鐔は真っ黒の光沢の強い地鉄に、きちんとした透かしで、透かし鐔の王者が尾張鐔という世評を裏付けるような名鐔である。笹野先生の元で学んだ斯界の識者が「笹野先生所蔵の鐔で、生ぶの黒錆では、この鐔が出色」と述べていたのも首肯できるものだ。

2022/12/20
三蓋菱の下段の菱に比して、上段、中段の菱が小さいが、全体の印象のスッキリ感を出す為に、敢えて小さくしたのだと思う。これが大きいと重たい印象になるだろう。

2022/12/18
両側に配置した三蓋菱は横向きにして、下段の菱を上下に長く伸ばしてデフォルメしている。「尾張」と分類している良い鐔は、ともかく、このように外側に向かうような模様がある。金山鐔とは違うところである。何なのだろうか。工房の特色なのだろうか。

2022/12/16
品格の高い鐔である。それは紋という図柄と、深みのある黒錆の輝きから来ている。識者が「これが尾張の紫錆です」と絶賛するのだが、私には真の黒、後藤家の赤銅と同じ黒と見える。

2022/2/2
三蓋菱の頂点=横の耳と接しているところーに太い棒を入れている。透かし鐔の補強の意味があるのだと思うが、面白い発想である。この棒無しに三蓋菱の頂点をそのまま耳に接することもできたと思う。所蔵の金山鐔の松皮菱透かしは、そのようにしている。

2022/1/31
錆色が何よりも良いのは当初からわかっていたが、造形の力強さに、惹かれている。デザインは紋をアレンジしただけなのであるが。

2022/1/29
ともかく尾張の良いものは外に外にと広がるデザインだ。この鐔、購入した当初よりも好きになってきた。所蔵されていた笹野先生には「やっとわかるようになったか」と半分馬鹿にされたコメントをいただけるのでは。

2022/1/27
左右の三蓋菱の下段が大きく上下に伸びているが、これが板バネのような弾力を感じさせる。面白い造形感覚である。

2022/1/25
素晴らしい錆色だ。そして風格。これがこの鐔の魅力だ。私が後藤家が関与して、三好長慶をはじめとする三好一族の為に作ったのではないかと想像しているが、そういう風格を感じさせる鐔である。もっとも、このような感覚は個人的な印象だが、見える人は感じると思う。

2021/2/4
ほどの良い透かし鐔だ。

2021/2/2
磨き地としてきたが、改めてみると、槌目地の残りも見られる磨き地である。ともかく丁寧に仕上げているのだ。

2021/2/1
室町古鐔と京透かしの切羽台における茎孔周りの鏨に言及したが、この鐔も茎孔周りの全面に鏨を入れている。古いものの特徴でいいのだろうか。

2020/10/1
後藤家監修の鉄鐔という印象。

2020/9/29
深いところまで真っ黒な感じがする鉄である。強さのある品の良さがある。

2020/5/20
三蓋菱下段の上下に突き出た菱は、右側の方が圧迫されて、空間がわずかに狭い。これは小柄櫃より笄櫃の方が狭いことを意味しているのだろう。

2020/5/18
品の良い鐔である。

2019/9/29
堅くない格調と書くと、何のことかとなるだろう。黒く輝く錆色、透かしの丁寧さ、透かし文様が桐紋、三蓋菱紋ということから格調を感じ、三蓋菱紋の下部の菱を大きく延ばすというデフォルメに自由さを感じる。

2019/9/27
三蓋菱の透かしの線が、ある程度太い為か、しっかりした感じを与える鐔である。そして三蓋菱が板バネのような感じで、動きも感じる。

2019/4/6
鉄錆の色は、もう一枚の尾張(輪に外四つ鐶)とも違うし、2枚の金山鐔とも違う。強いて似ていると言えば室町古鐔(車透かし)だが、こちらは槌目地でもあり、印象は違う。

2019/4/5
桐紋の上の葉脈の彫りは実に細く、繊細でキチンとしている。鐔工だけでなく、金工が関与しているのかもしれない。以前から、この質の良い赤銅のような漆黒の鉄味や、格調の高い作風から後藤家が関与したものでないかと書いてきたが、これも、その傍証の一つである。

2018/9/19
勘四郎と同じく桐紋を彫っているが、きちんと彫っている。だけど三蓋菱は下段を思い切り広げている。紋のデフォルメということは勘四郎の独創ではないことになる。いつ観ても、鉄錆の清澄な輝きは美しい。切羽台は細めに見えるが、それは肩が張っていないからであろう。これも時代判定、工房の判定に役立つだろうか。

2018/6/4
槌目地の表面における槌目を取り除くように磨いたのが磨地であろう。手間としては磨地の方がかかる。しかし、鉄の面白さは槌目地の方が出る。表面の凸凹も、光の反射の差となって味わいもでる。木綿の布で拭き込んで楽しいのは槌目地である。
磨地の魅力は整ったところから来る品の良さも、一つである。

2018/5/31
尾張透かし鐔を、もう1枚購入したので、改めて諸書を見ているが、尾張と分類されているもので、本当に良いものは少ないものだと実感する。10枚も無いのではなかろうか。この鐔は11枚目のようなものだ。(1/26にも同様のことを書いているのに気が付いた)

2018/3/15
「ほどの良さ」という感じがする。武骨に過ぎず、繊細に過ぎず、あらっぽくなく、かよわい感じもせずと言うことだ。

2018/3/9
最近、尾張を購入したので、比較の為に観る。今朝は三蓋菱が地震波が外に広がるような感じに見えた。茎孔が震源。左右に地震波が広がる。震源に近い方の波が大きな震幅ということだ。

2018/1/28
この鐔は「謹製」という言葉がふさわしい。丹精込めて製作したものであろう。

2018/1/26
巷(ちまた)で高名な尾張と称される鐔の写真と、改めて比較する。端正なスッキリした感、品の良さと言う面では最上位の方である。また美しい紫錆という面でも最上位の方だと思う(これは写真ではわかりにくいが)。ただし尾張の特徴は、そんな印象ではなく、スケールが大きく、簡潔ながら力強く、安定感があるということであれば上位を譲る鐔が8枚ほどある。また絵風尾張では3枚ほど、拝見したいものがある。

2018/1/24
「尾張」と言う名称はともかく、これに分類されている鐔にはいくつかの種類があり、私もよくわからない。「金山」を大きくして文様が華やかなもの、「京透かし」を武骨にした絵風な感じのもの、「京透かし」のような透かしの線だが文様がシンプルなもの、「古正阿弥」と同様だが文様の動きが少なくシンメトリーなものなどである。
所蔵品は地鉄が槌目地ではなく磨地で、耳の仕立ては角耳を丁寧に面取っている。そして桐紋には細かく浅い毛彫りで葉脈を彫っている。そして三蓋菱の線は太めで強い。

2018/1/23
家紋という堅くなりがちな文様を、このように配置したデザイン力、きちんとした透かしにした鏨の技術、美しく真っ黒な錆付けを工夫した探究心など見事なものである。時の後藤家の当主に、鉄で後藤の赤銅の色を現出せよと命じられて工夫した錆付けなのだろう。

2017/5/30
入手した赤坂初二代もねっとりした真っ黒な錆であり、この鐔と比較した。この鐔は特別だが、真っ黒に加えて澄んだ感じもする。品格があるから感じなかったが、赤坂初二代に比較すると強さを感じる。

2017/5/5
鉄の黒錆に美を見出した民族は日本人だけと聞いた。お茶碗でも、白磁のきれいな器で飲むのは欧州、中国等、世界の民族。土の色、肌触りが残る茶碗で楽しむのは日本人。日本人に生まれて良かった。

2017/5/3
”尾張”という鐔分類名称のおかしさを、この鐔を例にして述べているが、このように世間に広く流布している名称を改めるのは難しい。尾張に証拠が無いのと同様に、そうでないという論拠も、いわば状況証拠しか無いわけである。新史料の出現、新出土品史料があればだが。

2017/4/25
しっかりした造りの鐔である。細かいところに神経を使っている。桐紋と三蓋菱紋と言う固い図柄の注文を受け、そこに自分の個性(デザイン力)をどう発揮するかと悩んだと思う。あるいは「乗真作 廉乗」の小柄の松皮菱紋の中段を大きく伸ばした経験があるから、悩まなかったのかもしれない。

2017/1/14
永禄4年(1561)に、足利義輝将軍から、三好長慶・義興父子が桐紋と塗輿の使用を許された時に、一族の刀剣目利き・三好釣閑斎が後藤家を通して注文した透かし鐔と、大胆な仮説を提示したが、漆黒の錆び色、透かしの格調は見事なものだ。寝床で触っていると、角耳をわずかに丸みをつけ、その外面も微かに凸に肉置きを取った状態も丁寧な仕事だと感心する。

2016/8/23
この鐔の切り立て部分(透かしの横側の部分)の錆を、少し落とした方が良いのかもしれない。ちょっと錆が盛り上がっているようなところもある。落とし過ぎるのも問題だが、悩ましいところである。
それはそうとして、この鐔の黒錆は見事である。ご存じのように私は鉄鐔を愛好しているが、まだ黒錆についてはわからない。自然なものと言うより、各鐔工の錆付け薬などの錆付け方法に起因するのだと思うが、千差万別である。この鐔の黒錆は、柳生の鉛色が輝いたような色とは違って、質の良い赤銅(烏銅)が輝いたものである。だから私は、後藤家が関与したのではないかと推測しているのだが。

2016.8.21
この鐔は、角耳小肉、地は磨地、耳から切羽台にかけての落としは無い。尾張は角耳、地は鎚目地、耳から切羽台にかけて中低にするという説があり、有名な「四方蕨手透かし」はこの通りだが、「四方花弁透かし」は丸耳で、鎚目地、耳の方が切羽台より低いという逆の形状である。
『透鐔-武士道の美』に「尾張」として所載の他の鐔も様々である。
鉄鐔は戦前では秋山久作、戦後では笹野大行氏の所説が権威だが、研究は進んでいない。もっとも基準となる資料が無く、研究の進めようがないのが現状である。
ただし、上記の方々や、名の知られた識者が「良い」としている尾張は「なるほど」と頭が下がるものが多い。美術品はこんなものなのだろう。

2016/8/20
この鐔は角耳を丁寧に丸め、角耳小肉に仕立てあげたり、透かしの線も、例えば縦に伸ばした菱の部分などは少し線を細くしたりして、非常に丁寧に造っている。この部分などは、菱を伸ばせば、引っ張られる分、線は細くなるから、このようにしているのであろう。
尾張の良いものは、外に広がるような図柄があることは、金山鐔の鑑賞記に記したが、上述した三蓋菱の一番下段の菱を思い切り伸ばすことで、流派の個性を出している。
京透かしの繊細、優美な透かしに対比して、尾張は男性的な雄渾な透かしと言われる。「武人の目にかなうもの」という秋山久作の評価もある。しかし、尾張の良いものは「四方花弁透かし」にしても「四方蕨手透かし」にしても優美なところはあるものだ。雄渾だが武骨ではないと感じる。

2016/8/17
今年は阿波踊りに出向いた。私が、この鐔の作成に関与したと思っている三好氏の本貫の地である。大歩危の方に出向く時に三好郡も通る。
明石海峡大橋、淡路島、鳴門大橋経由で徳島に出向くが兵庫県沿岸からは近い場所である。また徳島市内の眉山(びさん)から展望したが、空気が澄んでいると紀伊半島が見えるとのことで、もちろん当時は舟が必要だが、畿内は身近な場所だったのだろう。
この鐔は本当に格調が高い。造形だけでなく、真っ黒に輝く黒錆色が、その印象を高めている。刀剣鑑定・鑑賞に造詣が深かった三好釣閑斎(ちょうかんさん)政康が後藤家を介して、堺か京か奈良の名鐔工に造らせたものとの推測は正しいのではなかろうか。

柳生:水月透かし

 
2024/7/12
鐔の形状の独創性、錆色の美しさと独創的な光る鉛色、透かしの独創的な模様など大したものである。

2024/7/8
この欄でも「刀和」2024年5月号で発表した「柳生新陰流「水月」の教えとはー柳生鐔「水月」ー」をリンクしておきます。尾張柳生というより、流祖石舟斎の頃に生まれた教えだと思います。道場の剣道試合では意識されませんが、実戦の場では立つ位置が決定的に大事であり、宮本武蔵の「五輪書」でも背負う太陽の位置、立つ場所での相手との高低差などが記されています。

2023/10/10
下部で月の円弧の上に波を彫ることで遠近感を表現しているが、加えて透かし際をなるめていることで、さらに遠近感表現を強めている。

2023/10/6
美しい黒だ。力強い黒だ。

2023/10/2
透かし際をなるめているところは柳生鐔の一つの特徴だが、奥行きが出ている。柄を握り、鐔に当たる箇所を和らげているのかとも思ったが、鐔際までは握らないのではとも思う。

2023/9/29
鐔の形状は埋忠明寿にも見られるように、桃山時代は自由な形状が生まれたが、幕府による「かぶき者」の取締令の強化(元和9年、寛永3年、正保2年)で、大鐔、大角鐔が禁止されていき、それに伴い角型鐔は少なくなる。柳生連也は”はったり”だけの鐔は造らないが、角鐔で、しかも四隅の角を落とした、この形状を造った。感じの良いものである。

2023/9/26
陶器には素人の作品が本阿弥光悦から近現代の北大路魯山人や川喜多半泥子に至るまで面白いものがあるが、鐔では宮本武蔵と柳生連也だ。武蔵は海鼠透かし以外に見ないが(他にもあると思う方が自然だが)、連也の図柄は豊富である。いずれにしても心を打つ作品である。

2023/9/23
波に彫り込んだ太い鏨、無造作に見えるが、これが実に力強い。面白い効果である。

2023/9/19
力強く、存在感のある鐔である。ドーンと迫ってくる。

2022/12/30
このHPの鑑賞記に記したが、図柄の「水月」に関する柳生流道歌も、「立向ふ その目をすぐに ゆるむまじ これぞまことの 水月の影」、「心 水中の月に似たり 形鏡の上の影の如し」、「雲はらう 嵐の庭の 池水に もるよりはやく うつる月影」などがあり、柳生流にも剣術にも詳しくない伊藤はわからない。
「猿候促月」(えんこうそくげつ…猿が水中に映った月を捕ろうとして落下=身のほど知らずの戒め)の言葉があり、水の映った月は実態の無いものであり、それに惑わされてはいけないとの意は感じます。波があれば水上の月影は消えることに関係しているのでしょうか。

2022/12/28
波の中の水の”うねり”を、太い無造作に見える線で彫っているが、それが妙に力がある。

2022/12/26
月の面取り(透かし際をなるめる)の効果だと思うが、円周で囲んだ内側の空間の抜けが何とも言えなく良い。奥の深さを感じさせる。

2022/12/24
柳生連也の悪戯心が出ていると同時に、気迫を感じる。これなんだろうなと思う。

2022/12/22
この鐔は柳生鐔の中で最上位の一枚だが、鉛色で輝く黒錆の色は美しい。形状も魅力的である。そして柳生連也の悪戯(表面に出た鉄骨を除去しないで波飛沫に見立て)もあり、面白い。

2022/5/7
この波の図柄は、絵の素人(しろうと)と言っては語弊があるが、玄人(くろうと)の発想で描いたものではないと思う。それが変に力を持つのだが。

2022/5/5
月は満月なのか、下弦の月なのか、ともかく円弧で月を表現し、その円弧を下部では太くしている。なんとも言えない表現である。特異な発想力である。

2022/5/3
私ごときが、すぐに良さをわかるようなものよりも、何度観ても、わからないが、心に響くところがあるのが名品なのだと思う。こうして、当方の鑑賞力の無さを糊塗する。

2022/5/1
巷(ちまた)には柳生鐔と称されているものも多いですが、これが本当の柳生鐔。拝見していると圧倒される力を感じる。何なんだろうと思う。

2022/4/29
窓のような月の表現、本当に面白い。右半分は波と一体化しているし、上部は同じ太さの線で枠を作っている。よくここまでデフォルメしていると感心する。

2022/4/27
鐔箱を開けた途端に感じる迫力、これが柳生連也の発する力である。

2021/4/2
切羽台の下部を波頭で左右から支えるように彫ってあるが、これも面白い。微妙な安定感がある。

2021/3/31
宮本武蔵も柳生連也も大したものだと、改めて思う。剣の道が、どういう発想、思考の流れで、美術の表現に向かうのだろうか。昔から「一芸に秀でる者は多芸に通ず」と言うが不思議である。

2021/3/29
波を形彫りした上に、そこに鏨を入れて、波濤らしくしているのだが、その鏨の彫り込みの強さ。無造作に見えるが、神経を使い、気合いを入れた彫りだと思う。

2021/3/27
鉄の黒錆が、かくも美しいものなのかと言うことが、一目瞭然。

2021/1/29
私は鉄鐔を愛好することで、様々な黒色を観ることができたが、この柳生連也の鉛色の延長にある輝く黒は独特のものだ。こういう黒を生み出しただけでも柳生連也の美的感覚は素晴らしいと思う。

2021/1/28
鐔製作を本職としていない者が製鐔した”遊び”は感じるのだが、鐔を装着した刀で命のやりとりに向き合った者が製鐔した”凄み”も同時に感じる。

2021/1/27
凄い鐔である。ともかく力強い。連也と対峙している感じがするが、対決ではない。「これはどうだい?」と言っている。

2020/6/5
この作品から発せられるエネルギーは生半可なものではない。柳生連也という人物から来るのだろうか。

2020/6/2
古人は、このような仕立てを「平肉がある」と評した。波などの平肉は必然を感じるが、上部の月の輪における平肉の付け方は何だろうなと思う。月の輪郭も波のようになっている。

2020/5/31
耳の塊状鉄骨は左下部に1つ、左横に1つ、右横に2つ、右横と下の間に1つ(これは形を整える時に摺られているが)と、表下部の波飛沫と見立てられた1つである。

2020/5/29
中にある円は、内側の枠だけ見れば満月だと思うのだが、円の外側まで見ると、下部は円の枠が幅広く、そこは上部に口を開けた三日月のようにも見える。こういうところも実に面白い。

2020/5/27
昨日、「上田宗箇 武将茶人の世界展」の図録を見ていたら、宗箇着用の陣羽織(大阪夏の陣で着用)が所載されている。緋色羅紗地に白羅紗地に「立つ波文」を描いたもので、襟地は瓢唐草文の金襴の布である。実に華やかで傾いたものだ。
波文としては今の大河ドラマに登場する斎藤道三が使った紋所「二頭波」で知られるが、安土桃山時代の武将に好まれていたのだ。

2020/5/25
美は何か?芸術は何か?を感じさせる。この鐔で一般人が美しいと思うのは鉛色を黒くした照り輝く地鉄の色だ。波の彫りは美しいというより、力強い。海上の月の構図も美しいというよりは意表をつく。得に月の大きさ、月の中を抜いている点などは面白い。
ただ心を打つ。心が揺さぶられる。

2020/5/24
整ってもおらず、美しくない切羽台だが、存在感があるというか、実に力強いと感じる。

2020/5/23
昨夜、武蔵と同時代は柳生連也の父の兵庫助であることを思い出し、訂正する。武蔵は武蔵拵だけで無く、絵で高名である。連也は柳生拵と今は残っていないが庭造りでも名高い。
これは凝った鐔である。透かしの切り立て部分の面取りや、それぞれの透かし模様の平肉など、微妙な細工を施している。

2020/5/22
宮本武蔵と柳生連也、ほぼ同時代(誤:武蔵が一時代前)の剣豪で、ともに鐔の作品があり、不思議な感を持つ。連也の場合は、何から何まで自分ではやっていないが、三代山吉兵の作とは違う、あくまで連也の作品である。

2019/8/22
この鐔から気圧される感を抱くようになったのは、私も遅ればせながら柳生連也の本質を感じることができるようになったのだと思う。この鑑賞記でも以前は「力強さ」で表現していたが、その奥に「厳しさ、気迫」があり、それを感じ続けると、私のような軟弱な男は気圧され、疲れてくるのである。

2019/8/17
今、香港で若者がデモを行っているが、そのスローガンの一つにブルース・リーの「Be water」(水になれ)が唱えられていると聞く。”水は方円に従う”ということで臨機応変に対応しろということだろうか。そのブルース・リーの言葉に「Don't think, feel.It is like a finger pointing a way to the moon.Don't concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory!」(考えるな、感じろ。月を指す指のようだ。指先ばかり見ていると大切なものが見えなくなるぞ)という言葉もあるようだ。
これまた水月の教えの一つだろうか。

2019/8/14
波に筋を彫っているが、この彫り口が大胆で強い。上手な彫りではないのだが、気合いが入っている。適当な彫りのようだが「鏨を入れる場所はここだ」と籠められているような彫りだ。

2019/8/12
柳生連也の「遊び心、余裕」は感じるのだが、ともかく強烈な感じがして、愛玩するのに疲れる鐔である。真剣に向かいあえばあうほどに圧迫されるような迫力を感じる。

2019/8/11
「厳しさ、気迫」と「遊び心、余裕」の両極端の心持ちが融合している名作だ。

2019/8/9
この鐔も志水仁兵衛と同様に作者の思いが伝わってくる。今日は切羽台を支える波頭に剣豪:柳生連也の厳しさ、気迫を感じた。

2018/12/11
①実用としての鐔の役割、②三代山坂吉兵衛の職人技、③柳生心影流の教えを連也の指導の下に絵にした絵師、④庭作り・焼き物作りにも関心を示して黒錆の色に拘った柳生連也の美意識、加えてこの鐔には⑤連也の遊び心が融合して生まれた作品であり、柳生鐔の一つの頂点となるものと自負している。

2018/12/9
ビッグ・ムーンにビッグ・ウェーブだが、月の輪郭の上部は円環に近く、下部は平面的にと変化を付けていて面白い。波は切羽台を支えるための波と割り切っている感じで面白い。

2018/3/25
隅切り角という形状だが、こういう形を選択する発想も、何か作鐔する個人(今は芸術家と言うのだろうが、柳生連也には使いたくない)の意図、狙い、遊び心(これも語弊があるが)が出ている感じがする。

2018/3/18
柳生の良いものには、この鐔もそうだが、強烈な感をいだく。まず黒鉛色が輝く錆色、そして不思議で力強い造形だ。『刀装具の鑑賞』(尚友会)に所載されている5枚も、皆、この調子だ。そして、この5枚の茎孔も1枚を除くと、私の所蔵品と同様に長方形気味で先がややすぼまる形状だ。

2018/3/16
表現技法の面でも面白い。下部を観るとわかるが、地に現れた塊状鉄骨をそのまま残して波の飛沫としているのが一点。月の枠と切羽台の間は透かし、月は地を掘り下げ、平らにし、彫り残した地から立波を彫る。彫った立波の中を線で深く掘り下げ、波のうねりを表現する。すなわち遠近感をできるだけ表現している。透かし切り立て部の面を取ることでも立体感を出している。

2018/3/13
17/1/31に、この波をビッグ・ウェーブと書いたが、この月も大きい。ビッグ・ムーンだ。ともかく面白いし、力感に溢れている。

2018/3/12
この波の中に彫り込んだ線彫り。適当でありながら、面白い。いかにも本職ではない趣味人の手が入った感じである。

2018/3/10
スケールの大きさを感じる鐔だ。そして作り手の柳生連也の余裕、自信を感じる。こういうものがあるから、後の尾張藩士は大事にし、その結果として御流儀鐔も多く生まれたのであろう。

2017/2/13
昨日は、この鐔の切り立て部分の赤錆びを少し落とした。昔の麻雀の点数棒(何かの骨か角)を古道具屋で求めており、それで落とす。後は木綿の布で落とすだけだ。本来、切り立て部は時代判定にも使うから、手入れしない方がいいのだが。

2017/2/5
この作が柳生鐔の本歌だ。「地鉄は黒味が勝った鉛色で、極めて精練」、鍛えは「鉄骨が出て、耳・切り立て部分に層状の鍛え目」(三代山吉が鍛え、連也本人が錆付けだ)、そして「透かしの際を磨って鈍稜」(連也の磨き)にしている。図が柳生鐔の写本に掲載(柳生流の剣術極意に関係)されているのも当然不可欠だ。そして中心孔が長方形に近いのも連也の好み。

2017/2/3
このような波は柳生鐔には多い。土俗的というと、尾張地方特有かと問われるから適切な言葉ではないが、京・後藤物とは違って洗練されていない感じだ。ただし、その分、力強い。

2017/2/1
そして力強い。力強い分、野趣(垢抜けていない素朴な趣き)も感じる。

2017/1/31
グレート・ウェーブにTheがつけば、北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖波裏」だが、刀装具の分野では、この鐔の波がビッグ・ウェーブだろう。
「地上の星」が中島みゆきの名曲であるが、この鐔は「海上の月」の名作だ。

2016/8/14
地鉄は美しい。鉛色=くすんだ黒なのだが、それが照り輝いている。鉛が輝いたら、この色になるというものだ。これが柳生なのだ。昔、尾張の人がもてはやしたものだ。

2016/8/13
少し前の時代に肥後鐔山脈の中に剣豪:宮本武蔵の鐔が生まれる。こちらの方は手に取って愛玩したことがないから感想は記せないが、武蔵は絵でも名高い。また文においても兵法書『五輪書』を残している。
武蔵と同時代の柳生兵庫助と島左近の娘の間に生まれたのが柳生連也であり、柳生心陰流五世の道統を継ぐ。こちらも『御秘書』、『連翁七箇條』があり、柳生鐔とは別に柳生拵、焼き物にも、庭造りにも造詣があったと伝える。
焼き物にも本阿弥光悦や近年では北大路 魯山人や川喜多半泥子などの他分野からの素人的な作家の名品がある。
これも芸術の不思議である。

2016/8/12
この鐔は、塊状鉄骨が耳の横ではなく、表側地の部分に水玉のように出ているままにしている。鑑賞記において、柳生連也がこの様子を見て「おもしろい」と感じて、そのまま残すように指示し、その代わりに、切羽台に付けている水玉の一つを陰(丸い玉のままが陽ならば玉の中を透かすのを陰)にしたのではと書いた。
後日、三代桜山吉在銘の鐔に、地の表面に塊状鉄骨が出たままのものを拝見した。資料として購入することも考えたが、在銘品だけに資料として買うには価格が高く断念したことがある。
柳生鐔の作者の一人に、三代山吉も想定されているが、事実なのだと思う。ただし、造形、錆付けなどは柳生鐔とは違う。

2016/8/11
芸術、美術品とは不思議だ。この鐔は波の彫りなど細かくはなく、むしろ粗く、大胆だ。だけど不思議に心に感動を与える鐔である。力強く、また美しいと私は感じる。
絵画でも、細かく精密に美しく描いた作品が感動を生むのではない。芸大に行くようなクラスの若者なら、ある程度の精美な絵は描ける。卒業すればなおさらだ。斯界に入って大家に取り入り、賞をとり、それで「売り絵」、「パン絵」と言われる大衆の好むものを画く。だけど、そのような絵は後世に残らない。
そういう技術の上に、自分なりの個性をキャンパスに叩きつけて描いたものでないと後世に残らない。そういう絵は画家の個性が出て独創的になる。鐔でも同じだろう。

2016/8/10
暑い日だ。去年あたりから、夏の夜は28度で冷房しないと眠れない。古くから伝わる種々の柳生鐔写本において、掲載されている柳生鐔の茎孔の形状は長方形なのである。だから柳生鐔の本歌の茎孔は長方形と言う人もいる。
現存するものにも長方形のものはある。『鐔鑑賞事典』に柳生として1枚だけ所載されている「一本竹透」がその例である。これは『透鐔』に所載で、説明に馬場→服部→柳生家→金森一吉に伝来とあるのと同じものだろうか。
茎孔は後で加工することもできるし、実際に刀装にする時は長方形では使い物にならず、責金が必要である。
この鐔は完全な長方形ではないが、長方形に近いものである。下部と上部の方を叩き、狭めている。この鐔と同様な茎孔の線を持つものに『透鐔-武士道の美』の柳生の冒頭に掲載の「丸波透」(柳生家伝来)と、3番目に掲載され、諸書にも見る「波車」がある。「丸波透」が柳生家伝来ならば、完全な長方形ではないものも本歌にあることになる。いずれにしても長方形に近いものである。

2016/8/9
堂々たる鐔だ。寛文新刀期の鐔として、肥後の又七を頂点とする肥後鐔山脈と並ぶものだ。現在は後世の写しの御流儀鐔まで柳生とされているから評価が下がっているが、本歌は感動する。
造形の力強さ、斬新さ。それから錆色が鉛色で輝く美しさ、そこに、この鐔は鉄骨で遊んでいる。全てが柳生連也そのものだ。
 

室町古鐔:車透かし

 
2024/8/1
笄櫃孔は州浜形になっていないが、これは製作時代の判定に役に立つと思う。もっとも、いつから笄櫃の州浜形が広まったのかは明確でないから、製作時代の判定に役立つと言っても「古い」というだけしか言えないのだが。

2024/7/28
茎孔周り全体に銅を嵌入して、調整しており、何代にもわたり愛用されてきたのではと書いたこともあるが、切羽台そのものが長く、細く、江戸時代後期以降の縁頭の縁を装着すると、切羽台が上下にはみ出てしまい、また横幅は縁の方がはみ出てしまうのではなかろうか。時代遅れのファッションアイテムになったと思われる。

2024/7/24
刀和の小論にも書いたが、本当に鐔に透かしを施す場合にはじめに考える原点(もちろん、こんな細い線の透かしは古代には無いが)となるような透かしである。古墳時代から存在する。その場合は太陽の光(日足)のイメージなのだろう。

2024/7/20
桃山期の車透は、スポーク部分が太い。以下にリンクした刀和の小論を参考にしていただきたい。この痩せたスポークは冷凍寂枯の雰囲気であり、室町期の雰囲気だと改めて思う。

2024/7/16
この欄には、「刀和」で発表した小論「この「車透」鐔の製作時期は?-古代から好まれた透文様-」(令和6年1月号通巻402号)をリンクしていなかったのでリンクしておきます。

2023/11/23
茎孔の回りは鏨で叩かれている。そして茎孔には全体に素銅が嵌められている。時代を経て、何人にも愛蔵され、いくつかの刀-それは身幅も重ねの厚さも異なる刀ーに付けられた為に、その都度、茎孔を調整されてきたことを物語っている。
概して古い鐔は切羽台における茎孔周りに鏨が入っていることが多い。

2023/11/19
厳しさを感じる鐔だ。

2023/11/15
次回の「刀和」で、この鐔を取り上げる。この鐔の製作時代を改めて考えた。詳細はそちらに譲りたいが,鉄色とその輝きは見事なものだが、「冷(ひえ)・凍(しみ)・寂(さび)・枯(からび)」の美だ。

2023/2/22
この切羽台の大きさと、元の茎孔の大きさ(今は、全体に素銅で責金して狭めているが)、それに左右同型の櫃孔から、南北朝時代の大太刀用に製作されたものではなかろうか。
すなわち、昔は足利尊氏騎馬像図として伝来した有名な絵(当該鐔の「手元に置いて鑑賞」欄に所載。重要文化財で、今は尊氏ではなく高師直かその子ではないかとされている)に描かれている鐔と同種のものではなかろうかとも考えはじめている。

2023/2/20
この地鉄の漆黒に輝く錆び色、どうしたら、こんな色合い、照り具合になるのだろうと思う。茎孔全体に責金を嵌めており、いかに大事にされてきたのかがわかる。

2023/2/18
この鐔の製作方法に関して小笠原信夫先生と話合ったことがある。先生は、このスポーク(輻…や)部分は、後から溶接をして繋いだ可能性もあるのではないかとのご意見も漏らされた。では耳、あるいは切羽台との接合部分に、溶接の跡があるかというと、「ここは」という箇所もいくつかあるのだが、明白に溶接痕というのは見当たらない。ただ溶接痕は、後でヤスリで除去もできる。
大きく鉄板を抜いて(透かして)、スポーク部をヤスリで丁寧に整えていく方法と、切羽台部分、耳の部分を作成して、それをスポークとなる鉄でひとつずつ溶接していく方法のどちらが容易かと考えると、前者の方が容易だし、強度的にも安心できるのではと思うが、本当のところはわからない。
ただ、多くの透かし鐔の櫃孔部分は、当然、鉄板を抜いて、ヤスリで整えているのだから、鉄板を抜いていく方が容易だと思う。。

2023/2/16
この鐔を拝見していると、時代の古さを表す箇所は切羽台の長さ、形状なのかと思う。また左右同型の櫃孔もそうだ。

2023/2/14
「冷凍寂枯」の世界が美しい。不思議な感覚である。

2022/1/7
槌目地の仕立て、細いスポークの車透かしが冷え枯れた感じを与える。それと同時に、鉄色の輝きが生気を感じさせ、不思議な鐔である。

2022/1/5
この写真だと、黒の輝きがわかりにくいが、彦三の引き両透かしの黒の輝きとは違うが、この鐔も真っ黒に輝いている。日輪、車透かしは古墳時代の鐔にもある文様であり、造り込みも古い形式であり、透かし鐔の原点のような鐔である。古いもの=古びて、くすむと言うイメージを払拭する輝く黒の鉄色だ。

2021/1/17
これまで車透かしとしてきたが、車にしてはか細く、日輪の方がいいかなと思うようになる。ただ日輪だと、この鐔が持つ冷凍寂枯の雰囲気に合わない感じがする。

2021/1/16
この鐔を拝見していると、私が所有している鐔の中で時代が上がるとされているものも、皆、この鐔よりも時代が一世代以上も下がるのではと思えてくる。古甲冑師鐔も、これより後。古刀匠や京透かしが天正頃で、他は文禄・慶長以降と思えてくる。上手のものは若く見えるから尾張も古い可能性はあるが、金山・信家なども安土桃山時代なのだろう。

2021/1/15
もうすぐ5歳になる孫が「鬼滅の刃」の主人公の炭次郎の刀の鐔がこれに似ているとのこと。当方はその映画も漫画も知らないが、変な時代になったものだ。

2020/12/29
造形的には単純だが、スポークも多く、この間を透かす作業など、手間のかかる仕事だったのだと思う。当時の高級品だろう。

2020/12/28
冷え枯れた造形に真っ黒な鉄色、鐔箱を開けるとハッとする。

2020/8/14
この鐔は、切羽台と2つの櫃孔が一体となって成型されたような感じである。切羽台と櫃孔が一緒に縦木瓜という形状になっている。

2020/8/13
鑑賞記に比較したが、桃山期鐔工(信家、法安、山吉兵、明寿)の車透かしと違って、冷凍寂枯の雰囲気が濃厚である。私の所蔵品の中でも異質な雰囲気を持つ。

2020/8/12
補修の方法として、一本ごとのスポークを外し、別の鉄のスポークをはめ込む方法などを小笠原先生から教えていただいた。一部にそのように見えないこともない部分もあるが、詳細に確認すると違う。例えば表の耳側にそのような切れ込みが見えても、裏は耳と一体ではめ込んだ痕跡がないとか、そんな調子であり、やはり生ぶなのだと思う。櫃孔にスポークが接するところなどは、このようなはめ込む方法は無理であり、痕跡らしきも見えない。

2020/8/10
寝床で愛玩していると、私の鐔の中では一番ゴツゴツ感が強い。耳の角耳も少しも丸めておらず、鋭角に感じる。

2020/8/8
この鐔の錆色は黒く艶があり、見事なものだが、見事過ぎて、後世に錆付けし直しているのかとも感じる。江戸時代の鐔屋では錆付けのし直しも業として実施していたことがわかっている。(「刀装具の研究ノート」2013/9/14)
細いスポークも、一部は欠損して、補修を行い、その跡も消していることも考えられる。表から、ここは補修かな?と思い、裏を見ると、そのような補修の跡もわからず、特定はできないのだが、これだけ古そうな鐔であり、そんなことも考えている。

2020/8/7
スポーク(輻…や)も真っ直ぐで、幅が均等というものだけではない。写真では上部の左側1本目のスポークや上部右側2本目がわずかに歪んでいるのが理解されよう。古甲冑師鐔のような板鐔に簡単な陰透かしに比べれば相当な手間だったろうと思う。だから各時代の高級武将の差料にかかっているのだろう。

2019/2/7
切羽台長が47.8ミリと、所有している鐔の中では一番長いが、堂々した切羽台である。鏨で茎孔の周囲を叩かれて調整されたのであろう。そして今度はそこに素銅でハバキのように責金を入れられている。幾星霜を経たという感である。

2019/2/5
こういう鐔を観ていると、磨地ではなく、槌目地の面白さを感じる。

2019/2/4
冷凍寂枯を覆す生気に満ちた鉄色。贅肉が削がれて痩せているが力強さが漲る切羽台。

2019/2/3
桃山時代に造られた車透かしとは別種の骨と皮だけで肉の無い車透かしだ。こういう時代もあったのだ。

2018/9/15
透かし鐔の中でも、もっとも贅肉、装飾を削ぎ落とした質素なもの、すなわち「わび」の境地で、いかにも古びて星霜を経てきたような感覚、すなわち「さび」の境地だ。桃山時代の前期に千利休が唱えた美学を体現したような鐔だ。今の時代の人には理解できないものだろう。

2018/9/12
この鐔は、耳を16等分にしてスポーク(輻…や)の部分に印をつける。そして切羽台の方に、切羽台と櫃孔のバランスを壊さないように16の印をつける。それを結んでスポークの下絵を画き、それに基づいて彫っていく。だから上下にスポークは通らない。それでいいのだ。

2018/9/11
冷えて枯れて寂しい中でも、長い期間、愛されてきたのは、生気溢れる鉄色の艶、輝きの為である。

2018/9/10
この鐔は「冷凍寂枯」そのものだ。これが冷凍寂枯だ。

2017/12/1
昨日、上杉家の名刀展に埼玉まで出向くが、そこに大太刀の柄前と、その鐔が展示されていた。山銅製の菊花透かし鐔でH氏は欲しがっておられた。車透かしと同じく、古い時代の定番の透かし文様だ。
昨夜は鐔の切り立て部が、確かに古そうな錆色(もちろん切り立て部だから光っていない)であることに目が行く。きちんと手入れもされている。

2017/11/30
昨夜はこの鐔から”室町時代(応仁の乱前、すなわち1467年以前)の秩序感”のようなものを感じる。近畿・西国では室町幕府を頂点とする秩序が、まだ維持されていた時代である。この秩序は冬枯れ時期に折れるのか。応仁の乱の前とは、永享・寛正備前の時代だ。関東では、もう少し前に享徳の大乱(1455~1483)が起きるが、寛正は前の時代だ。

2017/11/22
室町の美意識を桃山につないだ千利休の茶は村田珠光以来の「冷凍寂枯」も意識している。珠光の「ひえかるる」(冷え枯るる)の精神か。ちなみに珠光は応永30年(1423)~文亀2年(1502)という室町時代中期である。鑑賞記に永正備前の一時代前の寛正則光に代表される「永享・寛正備前」(寛正は1460頃)と同時代ではなかろうかと書いた通りであろう。

2017/11/19
17日に室町時代の美である”枯淡幽玄”を記したが、桃山~江戸初期の華麗な風俗を描いた「彦根屏風」において、刀を支えにしているかぶき者の若者の鐔が車透かしであることに気が付いた。若い時代はかぶき者の前田利家坐像の鐔が車透かしであることは鑑賞記に画像をアップして説明したが、この手の者に流行したのかもしれない。信家も明寿も法安も山吉も車透かしを作っているし。

2017/11/17
武骨な中に、どことなく優美で枯れた感じのする鐔である。これが室町時代の美なのかとも思う。武家+公家+禅宗の混じり合いである。枯淡幽玄の美とも言える。

2017/11/15
先日、千葉県の風土記の丘資料館で出土した鉄剣とともに卵形ながら車透かしの鐔を拝見。改めて、この透かし文様が透かし鐔の原点であることを認識する。全国から出土しているわけであり、当時の権力者の腰間に、太陽のように映えたのではあるまいか。そうすると、車透かしというよいは、日輪の日足を象徴したものなのだろう。

2017/1/17
ねっとりとして黒く輝く、良い地鉄である。鎚目地なのに、磨地のような錆色であり、不思議な感じを持つ。車軸の一本ごとに、微妙に太さが変化しているものもある。また元側(切羽台側)と先端側(耳側)の幅も微妙に変化してあるのもある。力強いというわけでもなく、また繊細というわけでもない。ただ存在感はある。

2016/8/2
この鐔は茎孔全体に銅を埋めて、通る刀がガタつかないように厚さを調整している。ハバキを輪切りにして、鐔の茎孔にはめ込んだみたいである。あまり見ない責金の形である。有名な尾張の花弁透かし鐔が、同様に茎孔全体に銅を入れているが、こちらは、ぞれを全体に叩いて広げている(尾張の花弁透かし鐔も鑑賞記にアップしており、参照)。
古い時代の透かし鐔で切羽台が大きく、それに連れて茎孔も大きかったものに、このような調整をしたのであろうか。あるいは、このような補修方法は、どこかの地域の特色なのであろうか。上下の責金だけで刀はガタつかないと思うのだが。
いずれにしても、このような加工までしても、この鐔を用いたかったわけである。昔の人も名品と思い、愛着があったのだろう。

2016/7/31
この鐔の表面は鎚目地である。表面を平らにする時に、鎚で叩いて滑らかにしたものだ。磨地は、これから更にヤスリで表面を平滑にするという工程が入る。だから磨地はツルッとして綺麗であり、鎚目地は微妙な凸凹が味わいを深めている。ただし、キチンとした刀装の中だと、磨地の方が合うように感じる。だから江戸時代の鉄鐔は磨地が多いのだと思う。
しかし、「信家の鐔は鎚目地だが、信家鐔はどのような拵にも合うと言われているではないか」との反論もあると思う。私は、信家鐔に関する上記説は、信家の形を賞した言葉だと思う。また拵に「似合う」「似合わない」の議論は、各人の感性や、各人がイメージする刀装も異なる中では意味は無い。
刀装の一部ではなく、掌中で愛玩する分には、微妙な凸凹がある鎚目地の鐔は、それはそれで面白い。鐔工の製作の跡がわかりやすく、また古く見えがちである。

2016/7/30
この鐔は切羽台の大きさ、櫃孔の形状から古いものだと思う。車透かし(菊花透かし)は古墳時代の直刀期から連綿と続いている意匠であり、それぞれの時代の車透かし鐔を、鑑賞記において写真も入れて記している。桃山時代の鐔工の在銘の車透かしの鐔があるだけに、時代推定に利用しやすいと思うが、切羽台の大きさから、かなり古い感じであることは理解しやすい。
もう一つの考え方として、製作地域の差の違いも考えられる。
縦、横の車軸は上下左右を通して直線的だが、その間の斜めの車軸は微妙に直線がズレている。これは古い時代の車透かしの太刀鐔でも、上杉家伝来の菊花透かしでも観られることである。桃山時代の鐔でも法安の1枚を除いてズレており、機械的な文様にも関わらず、不規則性があるのが興味深い。こういう方が刀の拵に納めた時に自然に見える車透かしの描き方なのだろうか。

京透かし:勝軍草透かし

 
2024/10/5
将軍草の翼のような片葉を見ていただきたい。円弧を持って下にカーブしているもの、より直線的な葉、より細く長い葉、より丸味を帯びたもの、片葉だけ長く、しかも湾曲したものなど変化を付けている。葉の大きさ自体も様々である。

2024/10/1
京透かしに多いデザインは、この勝軍草(沢瀉)に尚武(菖蒲、杜若)、そこに八つ橋、それに武蔵鐙(野原に鐙)という植物が多い。葉の形で矢尻=勝軍、音で尚武、物語の故事と馬具ということで武に関係づけているが野に生える草が多い。当時の武士の感性にフィットしたのだと思うが、何となく日本人的と思う。

2024/9/27
日本画は線の美しさを言われるが、この鐔の透かし彫りの線も美しい。線が生きている感じである。

2024/9/23
京透かしは透かし文様の優雅さに目が行くので、鉄味の良さに言及されることが少ないが、この鐔の鉄味は深味のあるネットリ感のある良い地鉄である。磨地で奥深くからの黒光がある。

2024/9/19
拵という全体のファッションの中で、考えると、このような京透かし鐔は、どのような拵に調和するのだろうと考えてしまう。鐔だけが、このように洗練された図柄だと、鞘とかはどうするのだろうと思う。もっとも、どのような拵でも納まるのかなとも思う。

2024/9/15
勝軍草(オモダカ)の葉茎の線も優美だが、将軍草(おもだか)の葉の線も優美である。鍬の柄は直線だが、鍬の形状、沢瀉の根は曲線を使って写実的に作製している。

2024/9/11
ともかく武張った武士の差し料には付けない鐔だと思う。もちろん武張った武士も遊興の場では差し料もおしゃれにする可能性はある。

2024/1/30
前回、図柄の印象から「綺麗さび」の寛永期かと書いたが、「綺麗さび」の美意識の中では、鍬(くわ)を図柄に入れたり、オモダカの根の部分を図柄に入れているところが、「綺麗さび」とは違う部分なのかとも思う。何度か、この欄でも触れているが、切羽台は細長く、幅が狭く、茎孔の周りを何度も鏨で叩いて、狭めたりの加工の跡が著しい。こういうとこは時代が上がって、それこそ室町時代とも思えるところだが、よくわからない。

2024/1/26
この手の京透かしは、平安城透かしとして、時代を室町にあげる人もいるが、桃山よりも、もうひとつ下がる寛永期の小堀遠州の「綺麗さび」(明るく研ぎ澄まされた、落ち着いた美しさ)に近いのではなかろうか。

2024/1/22
雁をこのように表現するのはいつ頃から始まったのであろうか。勝軍草に雁を配することで、空間がグッと広がる。一方で鍬を入れたのは、何か直線的なものが欲しかったからであろうか。

2024/1/18
この手の京透かしは、デザインが勝れているために、後代の写し物もある。この鐔のように鉄味が良く、切羽台も細く長く堂々としているのが本歌なのだ。この鐔の切羽台の茎孔周りも、所蔵の車透かし鐔と同様に鏨で打ち込まれている。

2024/1/14
これは切羽台が細長い。そして茎孔の周りに鏨が多く打ち込まれている。この辺りは、この鐔の古さを物語っているような感を持つ。

2024/1/10
この手の京透かしのデザインは本当に洗練されている。安土桃山というよりは寛永頃の雅な文化のような気もする。小堀遠州の綺麗寂び、桂離宮に通ずる美だ。

2023/5/9
道ばたや田の畦(あぜ)に映えているオモダカ(勝軍草、将軍草)と、鍬(くわ)、それに空を飛ぶ雁(かり、がん)を、一つの画面に織り込む。実際の大きさ、実際の空間とは、かけ離れた世界を平気で構築してデザインにしている。凄い発想、デザイン力だと思う。

2023/5/7
この鐔の茎孔の上下の責金は銅だが、赤がねと称される銅の色ではなく、くすんでいる。不純物の混じったもので、やはり時代が古い証左ではないかと思う。そして茎孔の周りの責め鏨だが、鏨の向きが右側は上部にナナメ(左上がり)に打ってあり、左側も同様に左上がりのナナメの鏨である。普通は右側が左上がりならば、左側は右上がりだと思うのだが。

2023/5/5
京透かしはデザインのことが中心で、尾張、金山のように鉄味について語られることは少ないが、この鐔は光沢を持った、気持ち柔らかく感じられる鉄味である。いいものに悪い鉄味のものは無い。

2023/5/3
細い透かしの線である。彫り上げるのに手間のかかる透かし、また緊張感が必要な透かしだと思う。透かしの線が細いから、武用に悪いという言葉も出たかもしれない。ただし、世に出た時は世人から絶賛を博したのではなかろうか。

2023/5/1
京透かし、ある人は時代の上がるものを平安城透かしとするが、これなど時代が上がる方である。ただ室町時代の感覚とは違うと感じる。日本人として、このようなデザインを生み出した先人を誇りに思う。写実的だが、写実ではない。雁、鍬などを借りて、オモダカと組み合わせて画にしている。オモダカも葉の形状、大きさなどを好きに変化させて組み合わせている。

2022/11/18
直線も効果的と書いたが、曲線が織りなす文様が主であることは言うまでも無い。その線や面の先端が耳と接する点が12カ所あり、また切羽台と接する点は10カ所あり、強度を保っている。

2022/11/16
田園が多い地域では、今でもオモダカ(勝軍草)は見かけるだろうが、雁の飛ぶ風景は少なくなっていると思う。当時はこんな風景が武士の故郷には当たり前だったのだろう。そういうものを、これだけのセンスで配置し、繊細に彫り上げた鐔は持て囃されたのだと思う。曲線だけでなく、直線も効果的に交えているところにも感心する。

2022/11/14
この鐔を拝見すると、日本人として生まれて良かったとつくづく思う。野に生えている、いわば雑草であるオモダカの形状を矢尻にたとえることもそうだが、それをこのようにデザイン化するセンス。凄いものだと思う。

2022/4/1
勝軍草(オモダカ)の葉、先端の真ん中の葉先も左上は軽く左上に撥ね、左横(小柄櫃の横)は太めで右にカーブ、左下は細く長い葉を軽く左下に曲げ、右上の小さい葉は先端部が太め、右横の大きな葉は右にカーブしているなどの変化を付けている。同様にオモダカの左の葉、右の葉も形や向き、太さをちょっとずつ変えて、自然な感じを出すとともに、デザインに変化を付けている。

2022/3/30
切羽台の細長い形状、そして小柄櫃のやや細長く、少し扁平な形状、そして切羽台の茎孔の周りを全面的に削いでいる加工など、古いところ(桃山時代)の特徴だと思う。京透かしは何枚か拝見してきたが、本当に良いと思えるものは数少ない。

2022/3/28
この画題、確かに矢尻に似ている葉で、草の名前も面高(おもだか)、勝軍草、将軍草であり、武具にふさわしいのかもしれないが、田の横に生えている雑草です。でも、こういう雑草を取り上げ、このようにデザインする日本人の気持ち、そして、その雑草文様を身に付ける日本人の心情には、共感するし、誇りに思う。

2022/3/26
この鐔は海外旅行に出向いた後に、鑑賞したくなる鐔として、何度か、この欄でも記している。勝軍草の葉茎の太さは一定だが、葉の大きさは大小を付けている。このリズム感は作者・デザイン担当者の感性だと思うが、感服する。

2022/3/24
日本の手弱女(たおやめ)ぶりの美が詰まった鐔だ。刀剣に、このような鐔を装着した日本男児を誇りに思う。

2021/6/3
日本人の原風景の一つは、稲作にまつわるものだろう。この図は稲作の留守模様の鍬と、稲が生える湿地に生い茂る沢瀉(将軍草、勝軍草)に空に舞う雁を配置したものだ。 この欄の2016/6/11にヨーロッパの旅行から帰国後に、この鐔で癒やされる思いを記しているが、この思いは変わらない。

2021/6/1
デザインの良さに目が行くが、この鐔は鉄味も実に良い。艶のある黒錆が深みを感じさせる。耳には明確ではないが塊状鉄骨も見受けられる。

2021/1/25
将軍草の葉は、全部で5枚彫られている。その茎が曲線になっているのが3枚、直線が2枚である。葉の大きさ、細さ・太さや葉の反り加減など微妙に変化が付いている。そして笄櫃が無い代わりの雁の配置など、卓越したデザインだ。

2021/1/23
耳の横側は表面ほど平滑に仕立てていない為か、鉄骨らしいものも見える。塊状鉄骨こころ、線状鉄骨こころもある。

2021/1/21
茎孔の周りを全体的に削り込んでいると書いたが、厳密に言うと茎孔の下部と上部(ともに責金を入れているところの周囲)は馬蹄形にえぐるようにしている。そして茎孔の左右には大きな鏨を4つ入れて、全面的に削り込んでいるようにしている。左右にある大きな鏨の打ち込み方法は左側(櫃孔がある方)は上から下に入れ、右側は下から上(だから鐔を上下逆にしてから上から下)に入れている。室町古鐔を確認すると、上下の馬蹄形は目立たないが同様に大きくえぐっている。そして茎孔左右に入れている鏨は、京透かしと同様に左側は上から下で、右側は下から上である。

2021/1/19
この鐔も、室町古鐔(車透かし)と同様に表の切羽台の茎孔の周囲を全体的に削り込んでいる。『透鐔 武士道の美』(笹野大行著)を見ると、写真がわかりにくいのだが、京透、古正阿弥、金山、尾張などにままみられる。しかし、元からこのように加工されていたのか、後世に加工されたかはわからない。時代が古いだけに、加工の機会も多かったとも考えられる。

2021/1/18
室町古鐔の次ぎに古く見える鐔として、この京透かしをあげたが、確かに切羽台や櫃孔の形状等は古く見えるが、この洗練されたデザインは室町期でも末期の天正から文禄も含めた安土桃山時代に入るだろうと感じる。

2020/3/25
前日に時代の古さに言及したが、図柄全体の雰囲気は桃山時代であり、先人が室町時代末期としているのより、時代は下ると思う。桃山時代でも更に後期の小堀遠州の美意識に近いのではなかろうか。桃山の国際性に平安の雅(みやび)を取り込んだ美学である。

2020/3/24
切羽台と櫃孔については、縦に長い格好から時代の古さを言及してきたが、切羽台、櫃孔の格好が良いことに触れないといけない。狂いが無い姿、張りのある姿を作る曲線だ。

2020/3/23
「伸びやかさ」と「スケールの大きさ」を感じる。

2020/3/21
京透かしには「八つ橋」とか「武蔵鐙」のように画題として有名なものを透かし鐔で取り上げたものもあるが、これは将軍草(勝軍草)に、鍬を配し、雁を一羽入れた図であり、不思議である。作者独自のデザインなのだろうか。

2020/3/18
曲線、直線、細い線など美しい線の集まりだ。このセンスは卓越している。

2019/2/1
この鐔の鉄色は、ねっとり感のある艶が照り映えて美しい。

2019/1/30
勝軍草は田の畦(あぜ)近くに生えるし、鍬(くわ)は稲作に使う。豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国に縁のあるものだ。武士にとっても農耕・稲作は大切なものだ。

2018/9/29
茎の線の力強く、優美な曲線と触れたが、「力強さ」と同義語になるとも考えられるが、「強靱さ」という言葉の方がふさわしいと思うようになる。

2018/9/27
将軍草の茎の力強く、優美な曲線も褒めておきたい。躍動感は葉だけではないのだ。そこに少し太めの鍬の柄の直線。京透かしの名手Aのセンスだ。

2018/9/26
この鐔における櫃孔の美しさにも、改めて言及しておくべきと感じる。櫃孔そのものの形状(細長く、やや平たく抑え、堂々とし、切羽台と接するところは円く弧を描いて丁寧)、他の透かしとの関係(将軍草の茎の曲線、茎の太さとの一体感)などである。、

2018/9/25
この手の鐔が出現した時は、デザインの斬新さ、秀抜さから、大きな話題になったと思う。以前に「勝軍草透かし鐔の新たな解釈」としてまとめたが、観ていると物語が浮かぶように、勝軍草(オモダカ)は生命力を漲らせて躍動している。

2018/9/23
角耳で、気持ち中低、縦長ではなく、横幅を感じる造り込みである。切羽台は細めながら大きく、先の方がやや狭まっている。そして茎孔の周りを全体的に鏨で責めている。古そうな造り込みである。昨日に述べた切羽台の裏は平滑な感じは、金山「湯沸文」鐔の感覚とも共通する。そして小柄櫃は縦長で大きく、「題目・生者必滅」の信家の櫃孔と感覚は共通している。図柄は小堀遠州が唱える綺麗さびの時代と感じる。制作時代の判定をどうすべきか。

2018/9/22
切羽台の裏は平滑な感じである。金山の「湯沸文」鐔の裏のように摺った感じではないのだが、何か共通した印象を持つ。だから同時代の手癖なのかもしれない。

2018/9/21
透かしの陽の部分=地鉄の占める面積が狭いが、黒錆の輝きが魅力的な鐔である。デザインの良さに目がいくが、地鉄の良さも見過ごせない。

2017/4/24
鑑賞記にも、この手の京透かしの名作を作った無名の名手Aと書いたが、芸術の分野というのは一人の天才が出て切り開くものなのであろう。

2017/4/22
この鐔は、作られた時代背景、作者の意図、所持した人の人物像など、色々と想像が膨らむ鐔である。

2017/4/21
オモダカなんて田の畦に生えている雑草だ。面高という字で面目が立つを意味し、形状が鏃に似ていて、勝軍草、転じて将軍草として武家に好まれたのだと思うが、こういう草をデザイン化する発想には感心する。地面に生えている草に、雁がねを配するのも、どういうデザイナーかと感服する。

2017/4/20
昨夜は、この鐔を観ながら「日本人に生まれて良かった」としみじみと思う。

2017/3/20
遠景に飛ぶ雁を、笄櫃を形造るように沢瀉に接して配置して絵にしているのは、凄い感覚だと思う。

2017/3/18
何か柔らかい感じの鉄である。でも、鉄というのは不思議なものだ。私の所蔵品でも同じと思えるものはない。

2017/3/16
この鐔を観た当時の人は驚いたと思う。ここまで細い線で、しかもこれほど華麗なデザインを鐔の中に閉じ込めたセンスを。もっとも、私の古萩鐔の方が造り込みから見て、古いと思うから、細い線の透かしはあったのだと思うが、デザインのスッキリした華麗さは素晴らしいものだ。
だから写しものも多く造られたと思う。

2017/3/15
同図のものがいくつかの本に所載されているが、この鐔が直径8センチを越えており、地鉄も良く、切羽台、櫃孔も時代が上がる形であり、一番上手(じょうて)だと思っている。また京透かし鐔のデザインは多々あるが、繊細・優美さに加えて、生き生きとした躍動感が力強く、名作だと思う。

2016/6/15
この鐔は桃山時代だろうと私も推定し、世間でもそのように見なされているが証拠は無い。この鐔に限らず、鉄鐔の時代推定が正しいかを検証することは出来ていないのが実情である。
視点を変えて、図柄の感じから詰めていくと、小堀遠州の時代がふさわしいと思う。千利休→古田織部→小堀遠州という流れである。小堀遠州になると、豪放・華麗な文化から日本の古典美に帰るような優美さがでる。まさに、この鐔のような図柄である。小堀遠州は慶長から江戸時代前期の正保が活躍期であり、桃山時代でも良いのだが、江戸時代初期にもかかる。すなわち、通説よりも少し時代を下げた方が正解ではなかろうか。

2016/6/14
オモダカの葉の形状も微妙に変化させている。三方向に出る葉の上部の葉の形状を見ても、すらりとして先端は右に曲げるものから、もっこりしているもの、逆に先端を左に曲げるものなどがある。下部の二方向の葉の形状も左右に広がっているのから、すぼまっているもの、端を跳ね上げているものなど様々だ。
日本画は線と言うが、線のやわらかさ、線の肥痩、線の長短など見事だと思う。

2016/6/12
この手の京透かしには、「武蔵鐙(あぶみ)」、「八つ橋」のように伊勢物語などを題材にした図柄がある。この手の沢瀉の図も古典をもとにデザイン化されたのであろうか。調べてみる必要がある。

2016/6/11
ヨーロッパの旅行から帰宅したが、この沢瀉が優美、かつ逞しく伸びる様透かした鐔を観ると、日本人の感性の素晴らしさを改めて感じる。
この鐔も含めて、一群の、この手の透かしデザインを考案した無名の鐔工に、心からの敬意を払いたい。

赤坂初二代:松竹櫃孔透かし

 
2024/10/17
赤坂鐔のデザインは、京透や肥後と違って、取り上げる題材が幅広いと感じる。そして、1枚の鐔の中に、透の線が細いのから太いのまで幅が広く構成しているような感じがする。

2024/10/13
参勤交代で江戸に来た武士が、江戸土産として、物色したのであろう。郷里に帰れば自慢になったのであろうか。

2024/10/9
松竹となると松竹梅となり、梅はどこかと探してしまい、上下の三弁の花を無理に梅と観てしまうが、具象は松竹の櫃孔で、他は飾りと考えるのが良いのだろう。独特の図柄を創出しているのだ。

2024/2/14
京透でもない、独特な洗練されたデザインだ。

2024/2/10
真ん中の花は蘭が水仙かも、ましてや梅とも思えないないから、松竹櫃孔透かしとしておくのが良いと判断する。

2024/2/3
ねっとりした黒色の地鉄がまず目に入る。櫃孔のデザインに凝ったところが新趣向だ。新興の江戸の地で顧客を開拓するという意欲を感じる。

2023/8/12
透かし鐔のデザインに対する意欲は感じるが、櫃孔の形状が巧緻になり過ぎて、成功しているとは言えない。

2023/8/10
『赤坂鍔』(丸山栄一著)の二代忠正に、この鐔とほぼ同様な鐔(中央の蘭のような花の上部に透かしがあるか無いかの違い)が所載されているが、二代忠正と著者が定めている鐔は、笄櫃孔が小さく狭いことに気が付く。この鐔も竹の枝で狭まっている。ただし、赤坂鐔は総じて笄櫃孔が小ぶりだが。

2022/10/21
切羽台の中心孔の周りの削ぎも、当初からのものなのであろう。

2022/10/19
透かしのデザインは巧緻になりすぎていると感じるが、強さも感じる。これは時代なのか、江戸という風土なのか。

2022/10/17
”にっとりとうるおいあり”の独特の鉄味である。赤坂鐔の創始者の雁金屋彦兵衛の雁金屋は高名な京都の呉服商と同じであり、ここの出身者のデザインであることは間違いがないと思う。自分のデザインに自信を持っていた人物と思う。雁金屋の子息が尾形光琳、尾形乾山であり、ここから養子として楽家五代となった宗入もそうである。

2021/10/27
以前から「歳寒三友」という名称に違和感を抱いていたが、上下の横向きの花の名称は不明のままに、櫃孔の松、竹の形状に基づいて「松竹櫃孔透かし」という名称がいいのかなとも考えている。全体の透かしのスケールは大きい鐔である。

2021/10/25
櫃孔を、他の文様の一部として変わった形状にしたものは見るが、この鐔のように櫃孔の為だけに具象的な文様を彫るのは少ない。この鐔の笄櫃の竹における内側に出た葉は、笄を抜く時に邪魔にならないのか不思議である。そもそも当初から飾りなのだろうか。

2021/10/23
良い鉄味である。赤坂鐔の鉄味として喧伝される”にっとりとうるおいあり”の通りの黒くねっとりとも感じて輝きのある鉄味である。今、気が付いたのだが、櫃孔の竹の細かい枝の切り立て部分が垂直でない箇所もある。人気が出て、大量に製産する過程で、細かいところまで拘らなかったのであろう。

2020/4/16
松と竹は寒い時期でも変わらずに生き生きとしているから、歳寒=乱世、不遇な時期にも普段と変わらず、節を曲げずに生きていくという気概を表したのが本来の取り合わせの意味と言う。そんな生き方を求めようとした人が求めたのであろうか。

2020/4/15
切羽台上下の花模様の透かしについて、今でも何の花かは見当がつかない。『赤坂鍔』(丸山栄一著)、『粋な透かし 赤坂鐔』(佐野美術館)に同図を「松竹梅」としているから、そうしてきたが、梅ではないと思う。歳寒三友は(松竹梅)の他に(梅、竹、水仙)もあると言うから、水仙かとも考えた。六弁であり、横から見て三弁、そして水仙紋には細長い葉茎を一緒に描くものもある。だから上下の花を結ぶ線を葉茎とも考えたが、水仙にしても花の形が違い過ぎる。横から見た花模様に松、竹の櫃孔透かしということなのであろうか。

2020/4/14
田中一賀が『金工鐔寄綴』に記した「赤坂鍔の鍛ひ地鉄にっとりとうるをひ有」の「にっとり」を”ねっとり”と同義に使っていたが、改めて『日本国語辞典』で確認すると①しとやかで礼儀正しいさまを表わす語。②うるおいねばるさまを表わす語。ねっとり。③ゆったりとしたさま、こせこせしないさまを表わす語の語釈があることがわかる。
②の意味で”ねっとり”で問題は無いことを確認した。

2019/5/5
鑑賞記の「4.この図柄は何か?」の章で同図の鐔との写真比較を掲載しているが、まったく同図ではなく、①上下の花と耳の間の透かしの有無、②小柄櫃代わりの竹の透かしが中丸に接している部分の竹の形状、③笄櫃の松樹上部の枝振りの形状などが異なる。
この理由を考察しているが、近世・近代の芸術家では同図でも少しの差異を入れることが多いことを考えると、金山鐔のように同じものを造る職人意識から、作家意識が芽生えているのを感じる。

2019/5/4
この鐔は櫃穴に用いた松、竹の本来の大きさと、上下の花(梅ではなく蘭か)の本来の大きさを逆転させているのが面白いのだが、人間の既成概念(木々は大きく、花は小さい)に反しているので、スーッと共感できないところがある。

2019/5/3
後藤光侶(廉乗)ではないが、赤坂鐔の雁金屋彦兵衛と初二代忠正(二代は初代の弟説をとる)の一党も、京都から江戸に出て、後の繁栄を勝ち取った集団である。独創的なデザイナーの雁金屋彦兵衛は別だが、鐔工の初二代忠正は京都で、現在は京透かしとか尾張とか古正阿弥などされている鐔の一派の鐔工だったのだろう。
ところで、この図だが、櫃穴の松と竹は明白なのだが、上下の花は梅ではなく、強いて述べれば蘭ではなかろうか。鑑賞記では『新版 鐔・小道具画題事典』(沼田鎌次著)の「歳寒三友」の項に「梅は代わりに縄をもって梅の花をかたどり、結びつけたものがある」と記されているから、このようなものもあると考えたが、梅を象るものならば、より梅らしい姿に作るだろう。

2018/12/29
雁金屋→呉服商からの発想ではないが、この鐔のデザインは着物の柄のようで、武士の持ち物の柄にはふさわしくないような気もする。あんまり売れなかったデザインではなかろうか。

2018/12/28
この鐔の「にっとりとうるをひ有」(田中一賀の表現)の地鉄は魅力的である。透かしもゴテゴテしているようで、それなりの洗練さもある。京の有名な呉服商雁金屋に有縁な人物のデザインであることが理解できる。

2018/5/6
赤坂鐔を所載している本を観ていくと、陽の透かし(形状を彫り残す)と陰の透かし(形状を彫り抜く)の併用が赤坂初2代の作品に多いことに気づく。有名な蹴鞠形で松皮菱(陰の透かし)を斧(陽の透かし)で折らんとする「鉢ノ木」の鐔もそうである。

2018/5/2
『透し鐔』(小窪、笹野、益本、柴田著)の「赤坂」鐔の説明に、(櫃孔)初代の笄櫃は小さく、二代もややこの傾向があり、三代からは普通になるとある。また(切羽台)初代は尖り気味、二代から丸味が出てくる。三代は肩が張るとある。
これも初代~三代までは無銘であり、明確に言い切れるものではないだろう。

2018/4/30
この鐔の切羽台長は43ミリある。鑑賞記にも書いたが、室町古鐔「車透かし」(47.8ミリ)、金山鐔「山道文透かし」(46ミリ)、古萩鐔「枝菊透かし」(44ミリ)ほどではないが、尾張鐔「桐・三蓋菱透かし」(43ミリ)と同程度で、京透鐔「勝軍草透かし」(42ミリ)、金山鐔「松皮菱透かし」(41.6ミリ)と続く。もっとも王者又七は44ミリである。
寛永~寛文頃も大きいのだろう。
なお、同じ古赤坂鐔の四方松皮菱透かし鐔の切羽台長は40ミリでありであり、切羽台長だけで分類は難しい。


2018/4/28
上下の横向きに写し陰彫した花。先人が梅としているから鑑賞記では梅にしたが、どう観ても梅には見えない。そこから上下の花を結ぶ円弧が左右に出ているが、何なのだろうか?

2018/4/27
小柄櫃の周りに松の木、笄櫃の周りに竹、凄い発想だ。デザインに好き好きはあるだろうが、おかしくないと思わせるデザイン力というか雁金屋彦兵衛、忠正の自信は大したものだと思う。

2018/4/26
昨夜のNHKの番組(ためしてガッテン)で貧血防止の為に鉄分と摂ることを勧め、その一つの対策として、鉄鍋での調理や、鍋の中に鉄の卵を入れて調理することを推奨していた。鉄分が手から吸収されるのならば、毎夜、鉄鐔を撫で回している私などは十分過ぎる鉄分摂取なのだが。
田中一賀が「にっとりとうるをひ有」と書くところの赤坂初二代鐔である。鑑賞記も参考にして欲しい。
改めて観ると、手が込んだ透かしである。今、「改めて観ると」と書いたように、これだけゴチャゴチャ透かしても、当初はうるさい印象を与えてこなかったわけである。ここに忠正、それを指導した雁金屋彦兵衛のセンスが評価されるのだ。

尾張透かし:輪に外四つ鐶透かし

 
2024/11/7
尾張は、キチンと透かしているものが多いから、武士の礼装に付けていても違和感がないと感じる。金山鐔には訳のわからない透かしもあるが。

2024/11/3
昨日、大刀剣市で、尾張の名品を拝見。外国人と商談されていたから、海を渡ってしまうのかもしれません。ああいうのは日本に残しておきたいです。
さて、この鐔も尾張らしいもので、左右上下対称の図柄、その図柄も外へ広がる感じ、尾張骨と称される鉄骨だ。写真が手入れ前だから、差し替えないといけない。

2024/10/29
布での拭き込みを楽しんでおります。この鐔は高級品だったのだと思います。透かしは丁寧だし、磨き地も丁寧。この堂々とした切羽台は他の鐔には見られないものです。

2024/10/25
この鐔は、丁寧に仕立てられた磨地なのだが、耳の上部左に1㎝弱の線状鉄骨があり、その右(上部のわずか左)に粒状鉄骨が微かに見える。木綿の布で擦っているから、光沢も増し、このような鉄骨も明らかになってきた。

2024/10/21
尾張という分類名称には疑問があるが、尾張鐔らしい左右・上下対称の図柄で、デザインも凝った透だがスッキリしていて良い鐔である。また布で磨くぞ。

2024/3/17
切羽台がどっしりしていて大きくて存在感がある(存在感とは全体を観た時に目が自然にいく)。大きいが、縦長でもなく、上部が尖り気味になることもない。

2024/3/13
しっかりした透かしで、キチンとした仕事をしている鐔で、当時の高級品だと思う。内側に円弧を持つ透かし鐔は良いものが多い。

2024/3/9
写真が手入れ前であるが、今は光沢が一段と増している。しっかりした鐔である。そして隅々までに手を抜かないで製作した鐔だ。

2023/8/24
風格というか、どっしりした感もあるが、すっきり感もある。手元に置いての鑑賞のページを見てもらえばわかるが、この鐔は歴代所有者に愛されたと思われ、御刀に合わせて切羽台狭め、茎孔の上下の責金で何度か調整し、また不要な櫃孔を埋めたりして実用(佩刀)に用いられている。桐箱も良いものに入っている。

2023/8/22
尾張、京、金山などは、室町時代の製作と時代を上げられているが、私は安土桃山、江戸前期だと思う。『打刀拵』(小笠原信夫著)に所載の拵は、大名家の藩祖の所持品が多い。藩祖のものだから、そのまま保存されたわけである。その拵の鐔は古刀匠や古甲冑師と今では分類される鐔ばかりである。骨董をやる人は、どうしても時代が上げたがる。古木も樹齢を多くしたがる。

2023/8/20
透かし鐔の歴史はわかっていないのだが、先人からの伝えを、否定するにも根拠が無く、またその伝えも何となく首肯できるから踏襲している。そういう前提だが、京透かしと尾張透かし、デザインは京透かしの方が洗練されているが、自分が武士であれば、軟弱な感じがする京透かしよりも、しっかりして、男らしい尾張透かしを選ぶかなと思う。

2023/8/18
これによく似た「七宝透かし」図は諸書に所載されている。上下左右の耳に接する箇所が丸く透かすものだ。デザインのスッキリ感はこちらの方があるが、透かしの手間は小柄・笄櫃や鐶の先など、こちらの方がかかっている。

2023/8/16
この鐔は、木綿布で飽きず拭いこんできたから、鉄味は、この写真の時に比べると格段と良くなっている。鉄鐔拭いの楽しさを鉄鐔愛好家には経験して欲しいと思う。

2023/8/14
透かしが変に凝らずに、それでいて賑やかで、左右上下対称でキチンとした印象がある透かし鐔である。透かしの線、耳の太さも頃合いで、つなぎ箇所もしっかりとしている。

2022/10/15
昨日、東京美術倶楽部で東美アートフェアに出向く。刀屋さんの出店は泰文堂だけである。「古美術、茶道具、工芸、近代絵画、現代美術」と幅広いジャンルの美術品が多くの店によって展観されていたが、浮世絵は1枚だけ、刀装具はゼロという状況である。寂しい気もした。刀装具の中でも鉄鐔愛好家は減っていると思うが、木綿の布で、この鐔を拭う楽しみを伝えていきたいものだ。

2022/10/13
この大きな切羽台は珍しい。鑑賞記の中で紹介した秋山久作の押形に似たものがある程度である。笄櫃の州浜形を櫃そのものを州浜に造るのではなく、櫃は半円形で中を州浜に加工というのも少ない。だからと言って、時代とか流派がわかるものではないのが残念だが、貴重な資料でもある。

2022/10/11
目立たないが、左上の耳に短くて太い線状鉄骨、その少し上部に塊状鉄骨と粒状鉄骨が微かにある。

2022/10/9
手入れを兼ねて鑑賞する。私の鉄鐔で、もう少し手入れが必要なのはこの鐔である。鉄鐔の手入れは楽しい時間である。
典型的な尾張である。左右・上下対称。中低の造り込み、加えて、尾張の良いものに共通する外に広がる構図、横長、そして大きめの切羽台である。もちろん黒錆び色も良い。

2022/1/23
円の組み合わせだけで、左右・上下対称のバランスの良いデザインだ。実戦での効果はどうなのかはわからないが、左右・上下対称で重量が偏(かたよ)らず、全体の重量は軽く(透かし鐔)した鐔を求める武士は多かったのではなかろうか。そのような需要層には最適で、かつデザインも良い鐔は歓迎されたのだろう。これと同じデザインの鐔は諸書に見ないが、同様の七宝透かし鐔は何枚か見ている。

2022/1/21
また角で擦り、ほんのりとした赤錆びを取り、木綿布で拭う。端から見れば馬鹿なことをやっていると思われるだろうが、これが楽しい。

2022/1/19
この鐔は前の所蔵者が大事にしていたものだと思う。鐔箱の下の生地が、この鐔の形を残して色が褪せている。すなわち、鐔箱ごと鐔立てにおいて愛玩されていた訳だ。お手本のような尾張鐔であり、私が購入したような価格で売ってはいけない鐔だと思う。拭え、拭えだ。金山鐔もそうだが、こういう作業をしている鐔は愛着が増す。

2022/1/17
同種の切羽台の尾張と称される鐔だが、槌目地では有名な花弁透かし、州浜に蕨手透かし、蕨手に花菱透かしなどがある。この図柄によく似た七宝透かしの写真は2枚見つけたが、1枚は似ている。こういう印象も櫃孔や、そこへの当金、また中心孔の形状・責金などでも変化する。難しいものだ。

2022/1/15
拭いが効いて、だいぶ良くなってきた。それにしても大きな切羽台である。今度、改めて各書掲載品をチェックして、同種の切羽台のものを探したい。

2021/7/12
この鐔が入っている鐔箱の蓋の桐の木目は非常に細かい柾目がきれいに通っており、上手(じょうて)の箱である。蓋もピタリで、軽くは閉まらず、中の空気を押し出すようにゆっくりと収まり、腕の良い職人の作品である。昔から大事にされていた鐔ということが理解できる。当初は茎孔の責金も別のところに入っており、笄櫃も鉛で埋めてあり、差料として使われていた時代から大事にされていた。また角で錆を取り(もうほとんどないが)、しまっておこう。

2021/7/10
この鐔は磨地である。磨地は槌目地をさらに磨くわけであり、手間のかかる一工程が増えている分、上作なのだが、時代を経ると槌目地の方が味があるとなる。美術品の不思議なところである。透かしは左右上下対称で、加えて尾張の良いものに見られる透かしが外に広がるような図柄であり、しかも造り込みは中低で、横長で、切羽台が大きく堂々とするなど古い尾張の特徴が顕著なのだが、磨地だけに若く感じる。下手(げて)は古く見えるが上手(じょうて)は若く見えるのだ。

2021/7/8
これはまだ手入れ途上であり、引き出して手入れをする。耳側面上部の左に太めの線状鉄骨が出るが、塊状というよりは粒状鉄骨が2つほど見える。目立たないのだが。

2021/2/7
尾張と称される鐔の良いものと同様に、環が外向きに開いているが、鐔全体の印象としては真面目で端正な感じである。

2021/2/5
切羽台の茎孔周りを全体的に削いでいるのが古いものかと仮説を立て、室町古鐔、京透かし、尾張とみてきたが、この尾張も同様に茎孔周りを削いでいる。
この鐔は切羽台の形状、中低の造り込み、横の方が長い形状から古いものなのだろう。地の磨き地が丁寧なところ、笄孔の形状などが若く見られる点であるが。

2020/10/24
この鐔の大きくて肩が張っている切羽台は、他の尾張とされて諸書に掲載のものを観ていっても類は少ない。「二引輪透」「竹透」が似ている。むしろ「桐・三蓋菱透かし」のように、先が細めのものの方が多い。切羽台の形状は、刀剣の中心(なかご)と同様に流派を物語るかとも思うのだが、難しい。

2020/10/22
また角(つの)で、この鐔を擦り、赤錆を落とす。まだ表裏、特に裏側の切羽台からは赤錆が出る。それを木綿の布で取り、磨くことの楽しみは鉄鐔愛好の醍醐味だ。

2020/10/20
丁寧に作られた折り目正しい作品という感じだが、こういうのが尾張の一つの特徴だと思う。

2020/10/18
丁寧な磨地にされていて触覚だけではわからないが、陽の光の下では、右斜め上にやや太目の線状鉄骨の名残がある。その上に粒状鉄骨の名残のようなものもある。

2020/10/17
また木綿布のこする為に、引き出した。造り込みは中低で、横長で、切羽台が大きく堂々とするなど、時代が古いとされている特徴を有しているが、磨地の為か、それほど古いものという感じはしない。端正でキチンとした鐔である。

2020/5/16
「ほどの良さ」がこの鐔の魅力。

2020/5/15
昨夜、思ったのは、切羽台は周りの図取り(デザイン)によって大きさは変化するのではないかということだ。だから切羽台だけを取り上げて、その長さ(縦の長短)、幅(横幅)などを論評するのは片手落ちということになる。切羽台の上部の尖り具合などは作者、時代の意味するところなのかもしれないが。

2020/5/14
円を組合わせた華やかな透かしで、四方の円(鐶)が外側に開いて明るいが、そこに骨太なところがあるのが魅力である。

2020/5/13
これは本当に写真を差し替えなくてはいけない。今は耳の錆びも落ちて、良くなっている。切羽台が大きく、整っていることが目に付く。櫃孔もしっかりと丁寧に作っている。
形は横長で、切羽台の方が耳より低い、中低の造り込みである。

2019/11/10
金山の松皮菱透かし鐔と並べると、この鐔の魅力がわかる。きちんとしたものでありながら堅くない。

2019/11/7
この派の名品に多い、”外に広がる感じ”は、この鐔の鐶の配置にも観られるが、耳の幅の相対的太さが、それを抑えており、伸び伸びした感じはない。

2019/11/6
同じような構図の七宝透(輪の外の鐶と鐶の間が円、鑑賞記に七宝透かしもアップしている)と比較すると、七宝透かしの方が華やかな感じがする。こちらはより真面目な感じだ。この派の特徴の謹直ということだろう。

2019/11/5
久し振りに、改めて赤錆落としを行う。角で擦り、木綿布で拭くと、赤い錆がつく。ただ上の写真は錆が強い時のだから、変更しないといけない。しっかりした造形の鐔である。

2019/5/17
この鐔は縦より横が長いが、鐔の形としては縦の方が横より長い方(長丸形)の方がおさまりが良い。だから後世はその方向になっているのだろう。

2019/5/16
また角で赤錆落としをする。”狂いのない”透かし鐔である。”堅苦しい”の手前で止めている。

2019/3/21
今、娘が第2子誕生で実家である拙宅に来ている。一番目の孫(3歳)も連れてきている。この孫は電車が好きで、寝るときに電車のおもちゃをふとんに持ち込んでいる。夜中、それが娘の布団の方に来ていたいこともあると言う。妻が「爺さんは鐔を持ち込むし、遺伝よ」と呆れている。歳を取ると赤子に返る(歩くのも不自由に、時に睡り込む、髪の毛は薄く(一方はこれからだが)、言葉も不明瞭に)というが、困ったものだ。

2019/3/20
私も含めて現代人は鐔を美術品、芸術品、工芸品と観るが、当時の人にとっては鐔は拵を構成する一つの部材であり、用としては①柄の握る位置を示し、柄を握りやすく、また滑り止めになるもの、②刀身を振った時のバランス材、③敵刃を受けた時の防御という3つが役割だ。
肥後鐔や在銘の信家・金家・明寿などは別だが、今の各種作家が作品に籠める思いなど、当時の職人には無かったはずである。だから、そのような作品において作者の思いなどを想像するのは笑止のことなのだろう。

2019/3/16
取り出して、錆取り後の状態を確認するとともに愛でる。磨地であり、古くは見えず、鉄だけだと江戸時代前期という感じだ。切羽台の大きさ、形状、鐔全体の中低で、横の方が長い点は古いものだが。
隅々まで神経を研ぎ澄まして製鐔したものとの印象を改めて受ける。ファッションアイテムで例えれば背広・ワイシャツであり、着用者を際立たせるものではないがキチンとしたものである。

2018/12/5
この秋、角でこすり、赤錆を取り、木綿の布で拭き込む作業を続けてきたが、一段落させよう。本当にこの作業は楽しい。ただし、この鐔のように素性の良いものでないと作業は報われない。

2018/12/1
私は尾張という分類は間違いで京(みやこ)の近くで製作されたと考えているが、上京し京、伏見、奈良、あるいは堺で、この鐔が売られているのを見た人は、その精巧さに驚いたと思う。

2018/11/27
これまで当たった諸書には同図の鐔は掲載されていない。同様な図に七宝図があり、こちらは数枚見ている。
鐔は実用品だから商品として同図のものを多く作ったはずである。この図も特別な注文品とは思えないのだが。もちろん実用の中で消耗・破損していったのも多いだろう。
耳とのつなぎ部分を鐶の折り返し部分にして、強度を増したのが工夫である。

2018/11/25
鉄味が良くなると、鐔全体の印象に重厚感が加わることに気が付く。

2018/11/24
表側はだいたい元の佳い鉄味になってきました。素性が良いから戻るのでしょうね。油を塗るなんてことを一切することなく、このような輝く鉄味になるのだから鉄は不思議です。

2018/11/22
鑑賞記に写真を掲載しているが、太く短い線状鉄骨が1箇所あり、粒状鉄骨の痕跡がいくつかある。職人が丁寧に磨地にするために鉄骨を削ったのだろう。

2018/11/21
裏側の鐶の取っ手部分の一つに、まだ錆があり、角で擦る。こんな時間が過ぎるのが楽しいから鉄鐔道楽は続く。

3018/11/20
木綿の布で拭い込んできたから鉄味も更に良くなる。デザインにも凝り、透かしも丁寧であり、華美ではないが高級品だったと思う。

2018/8/21
昨夜、この鐔を観る。どこに付けていっても恥ずかしくないような鐔だ。鐔そのものを強く目立たすようなところは無いが、観られて恥ずかしいところは無い。野暮で田舎じみたところは無い。派手で軽薄なところもない。武張っているわけではないが、柔弱ではない。

2018/7/28
鐔も武士のファッションアイテムと考えれば、尾張と称されるグループは背広みたいなものだ。きちんとしている。背広でオシャレをすれば柄、色にわずかな形の変化(襟、ダブルかシングル、センターベンツかサイドベンツなど)である。

2018/7/12
これまでも真面目、几帳面と書いているが、小柄櫃、笄櫃も実に丁寧・正確に作っている。

2018/6/26
よく本に掲載されている尾張鐔に、花弁の先端が丸まって開放しているもの、洲浜の先端がやはり丸まって開放されているものも多く見かけるが、あれも鐶(カン:引き手、持ち手につかわれるもの)なのではなかろうか。そして鐶がこのように好まれたのは茶道の影響(釜の鐶)なのかなとも感じている。だから、これらの尾張鐔は茶道が盛んになった桃山期、茶道が特に盛んになった畿内地域で好まれたものではなかろうか。

2018/6/23
中庸という言葉がある。いくつか語意があるが「過ぎたるところもなければ、及ばないところもない。こちら側に偏ることもないし、あちら側に偏るところもない」という意味で使う。そんな言葉がふさわしいような鐔である。

2018/6/21
この派の名品にある華やかな印象はない。一方で地味ということでもない。切羽台は堂々としているが、鐔全体が堂々という印象はない。だけど存在感はある。目立った力強さは感じないが、弱いところもない。豪快さもないが、貧弱ではない。格調も品も高くは無いが低くもない。

2018/6/20
毎日、寝床で木綿の布で拭いているから、耳の薄錆も取れて、輝きも戻ってきた。鉄鐔はこれが楽しい。
この鐔工房で製作にあたった職人は前述したように真面目で丁寧な仕事をする腕利きだが、意匠を考えたデザイナーは機能性(透かしの繋ぎ部分の堅牢性)を加味し、この派伝統の中円(輪)を入れることを前提にして、考えたのだと思う。時代の空気なのか、派の伝統なのか、外向きに開放する円弧で中円(輪)と耳、切羽台を結ぶ。同様の透かし文様では星付き七宝紋の方が売れたのだろう(現存している同種鐔が多い)。

2018/6/18
これは耳の円に加えて、内側の円(輪)、それに外向きの円弧(外四つ鐶)、それから切羽台の上下の円弧、それに櫃穴の半円と、円を組合わせたデザインでまとめている。こういうのは各円の太さを変えるだけで印象がガラッと変わるのだろう。内側の円(輪)の太さと、外向きの円弧(鐶)の太さを変えても、面白かったと感じる。鐶の方を少し太くしたらどうだろうか。

2018/6/17
この鐔の作者は黙々と丁寧、正確に造ったのだと感じる。作者の昂揚感みたいなものは感じられず、その結果として観ている方に訴えてくるようなオーラは響いてこない。刀装に付けていればうるさくない鐔だと思う。

2018/6/16
大きく、堂々とした切羽台。私の所持品は切羽台の立派な鐔が多いが、先人も述べているが、これは大事な見所だと思う。

2018/6/15
この鐔の「手元に置いての鑑賞」の中では鑑賞的なことの記述はあまり記さなかったが、基本は真面目で、キチンとした印象である。ラフに作っているところは一切無い。デザインもうるさいところは無く、その分、目立つところも無い。堅実な鐔である。


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